頑張れシニアベンチャー
56歳から人気ブロガーに。リアルなビジネスも「モッチーママ企画」
56歳にしてネット起業を果たした餅田雅子さん。経理ソフトが使える程度だったものが、いまや6本のブログを運営し、その半分が人気ランキングで上位3本に入るという人気ブロガーに。このほか、店舗のアドバイザーや村おこしなど、ネット以外のビジネスにも進出している。
モッチーママ企画
代表 餅田雅子(もちだ・まさこ)
1948年生まれ。経理を独学で学び、夫の会社の決算から確定申告までの業務を30年間手掛ける。会社を後進に譲り大阪から神戸に移り住んだのを機に、2004年、56歳でネットビジネスを立ち上げる。
"キャベツを切って"に愕然。起業を決意
——56歳で起業されたと伺いましたが、キッカケを教えてください。
夫が広告用のイラストを作成する会社を経営しており、私はそこで30年間、経理の仕事を担当していました。高度成長期にはいろんな仕事を受託し、忙しいながらも充実感のある毎日でした。しかし、バブル崩壊後、企業の広告費の削減などから受注も減り、会社の経営も厳しくなりました。また、イラストも筆とエアーブラシに替わりパソコンで描くものが主流になり、夫も仕事にとまどいを感じるようになりました。こうした状況から、私たち夫婦はこの仕事を離れることを決め、会社を社員に引き継ぐとともに大阪の自宅を売り払い、神戸に移り住むことにしたのです。
それまで夫も私も会社役員だったため失業保険がなく、次の仕事を探さなければなりませんでした。さいわい、夫は絵を描く技術を買われ、日本画を制作する会社に勤めることができたのですが、私の方は年齢の壁もあり、なかなか仕事が見つかりませんでした。
そんなとき、近所の喫茶店で"50歳以上のウェイトレス募集"の記事を見つけました。年齢がネックになり希望する仕事が見つけられなかった私に、"50歳以上のウェイトレス"は救いの神でした。新しいエプロンも買い、やる気いっぱいで面接に行くと、「明日からでもお願いします」とのこと。万歳と叫びそうになった瞬間、面接者が「フロアの接客は覚えることがたくさんあります。餅田さんはお歳ですから、奥でキャベツを切ってもらいましょう!」と言ったのです。
この言葉に、膨らんでいた私の夢はいっきにしぼみました。そして、この時「これからは年齢に左右される生き方はやめよう!」と、自分で事業を始めることを決めたのです。
——起業の手段としてネットビジネスを選んだのはなぜですか?
パソコンは経理ソフトを使うくらいで、ほかはほとんどわかりませんでした。しかし、当時はネットショップが人気で、ネットショップであれば低投資で始められると考えたのです。また、大阪にいたころ、運営を任されたブティックの売り上げを大きく伸ばした経験もあったことから、商品の販売であればできるだろうと考えたわけです。
しかし、いろいろ調べていると、ネットショップは在庫を大量に抱えなければならないことがわかり、その案は消滅しました。では何をしようかと考えていた折、参加していた起業塾の講師から「30年の経理業務を活かして、確定申告や税務対策のノウハウを伝える仕事をしてはどうか?」というアドバイスをもらいました。
経理は独学で身につけたので、税理士のような高度な知識はないのですが、従業員や会社のためにいろんな工夫をしてきました。一般の経理の本にはないようなそうした情報を紹介すればいいという講師の言葉に背中を押され、経理関連の知識をまとめたE-BOOKを発行することにしたのです。
——料理のブログなど、経理関連以外にも取り組まれていますね。
これまでに経理関連の商材を4本販売しました。このほか、税理士さんとジョイントした商品や起業家さんとジョイントしたシステムなども手掛けました。ブログは経理のブログ以外に、手軽にできる料理を紹介した「モッチーママの超簡単料理でごめん遊ばせ」、さまざまなカレーレシピを紹介した「毎日食べたい美味しいカレー」など、全部で6本運営しています。このうち3本は「人気ブログランキング」で1位〜3位の間を占めています。
さらに、最近はネット上だけでなく、地域おこしや実店舗運営のアドバイザー業務も手掛けており、ブランド戦略から広告企画、新製品の開発まで、さまざまな業務に取り組んでいます。
初挑戦のダイビングで人生の可能性を感じた
——新しい分野への進出はどのように取り組んでこられたのでしょうか。
とにかく人脈を広げることに力をいれました。いろんなセミナーに出かけ、一番前の席で聴講し、質問があれば真っ先に手を挙げるという具合に、自分をPRしながら、知り合いを増やしてきました。また、起業家仲間を自宅に招き、食事をしながらいろんな情報交換もしました。
私のような年齢でネットビジネスに参入する者は珍しいようで、新しいことを始めるといろんな人が応援してくれます。そうしたつながりが拡がり、いろんな新しい仕事に取り組むキッカケとなったのです。
——55歳を超えて未知な分野に取り組むのは勇気のいることではなかったのでしょうか?
私はよほどのことでない限り、どんなことでもやれないことはないと考えるタイプで、とくに"新しいことだから大変"と感じたことはないのです。それはこの事業を始める直前の経験が影響しているのかもしれません。
じつは、私はシャワーでも溺れるのではないかと思うほどの水恐怖症なのですが、神戸に移る前に八重山諸島を旅行し、そこでダイビングをすることになったのです。やると決めたときは不安はなかったのですが、海に入る直前になって、突然恐怖心が沸き起こり、水に顔も付けられなくなりました。
躊躇している私に、インストラクターが「海底で待っておられるご主人にも限界がありますから、今度挑戦して潜れなかったらあきらめましょう」と言った時、重い機材を背負って海中でひたすら私を待っている夫のことが頭に浮かび、あれほど怖かった海の中に潜ることができたのです。
生まれて初めて海中から見た太陽の光は、とても美しく輝いていました。大げさなようですけれど、この光が私にすべての可能性を感じさせてくれ、以来、「何事もやってやれないことはない!」と思えるようになれたのです。
——今後の事業展望を教えてください。
ビジネスパートナーたちと取り組んできた「村おこしプロジェクト」では、農産物の販売ルート確保や体験ツアーによる観光集客など、さまざまなノウハウを構築することができました。今後は、このノウハウを使い、各地の地域おこしに携わっていきたいと思います。
また、「村おこしプロジェクト」で知り合った生産者が丹精込めて作った商品のネット販売も手掛ける予定です。大手の通販会社のようなものではなく、生産者のこだわりを前面に押し出し、購入者に安心と安全を届ける地域密着型の販売サイトを現在構築しています。
さらに、人生経験豊かな団塊世代に向け、年齢に関係なく、新しい取り組みはできるのだということを、セミナーなどを通じてお伝えしていきたいと思っています。
掲載日:2009年12月 8日