中小企業のイノベーション
世界を目指し日本酒を進化 品質とPR戦略のタッグで突き進むNAGAI STYLE【永井酒造株式会社(群馬県利根郡川場村)】
2023年 4月 24日
のどかな田園風景が広がる緑豊かな里山・川場村。人口わずか3千人ほどの小さな村から「世界に通用する酒を」と願ってから14年の月日を経て完成した『NAGAI STYLE』は、創業1886年の老舗・永井酒造6代目蔵元の永井則吉氏の手になる。まったく新しい姿に進化した日本酒は、日本酒に新たな価値を与え業界全体に新風を巻き起こしている。
唯一無二のモノづくりで世界へ
創業1886年の老舗酒蔵が2014年、新しいスタイルの日本酒の楽しみ方を提案する『NAGAI STYLE』を発表した。食事の前の乾杯にはAWA SAKEの「MIZUBASHO PURE」。シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵で作られる、にごりのないスパークリング酒だ。メイン料理には-5℃のセラーで10年以上熟成させたヴィンテージ酒。古酒とは異なり、コメらしい甘い香りはバニラを彷彿させ、かつナッツのようにウッディな味わいも感じられる。赤ワインのように料理の中盤に合わせる酒である。そう、『NAGAI STYLE』はワインと同じく、ディナーコースに合わせていただくことができる酒シリーズなのだ。これを発表して以降、永井酒造ではリッター価格が3倍になり、出荷する数量も2倍になった。国内外のさまざまなアワードで多くの賞を受賞するなど躍進を続けている。
開発を手掛けたのは「酒蔵の次男坊」則吉氏。酒蔵を継ぐのは兄なので、自身は家を出て別の仕事をするのが当たり前と思って育つ。父が川場村村長を務めていたため、どこへ行っても目立つ存在であったこともあり、早く村を出たいとすら思っていた。ものづくりが好きだったこともあり、建築デザインを専攻し、世界を目指し海外で仕事をしようと計画していたという。
あるとき、酒蔵を建て替えることとなり、その設計のチームに志願した。酒蔵のつくりは機能性を備えていなければならないため、この時初めて則吉氏は、子供のころはいやいや手伝っていた酒造りについてじっくり学ぶことになる。そこで故郷に帰り改めて目にしたのが、過疎地域指定されていた川場村を、バブル期のゴルフ場開発のオファーなどを断固として拒絶し里山として守り続けてきた父の功績。清冽な水を守り、豊かな自然景観を維持するそのサステナビリティは今、世界が注目している開発のありかただ。時代の先を行く故郷の姿に感銘を受け、「ここから世界に通用する酒を発信したい」と考えたという。
これまでにない酒 これまでにない価値
一従業員として永井酒造に入社させてもらい、通信教育で発酵学を学ぶ日々。日本酒業界に入って驚いたのは、水、米、職人技の融合により造られる上質の酒であっても、日本酒の価格は横並びだということ。どんなに腕を磨いてすばらしいものを造っても数百円、千円の違いで高い、安いといわれるのだ。「日本酒の価値はそんなものか?」と問い続け、もっとポテンシャルがあるのではないかと考え続けた則吉氏。酒造技能士一級の資格も取得し、「これまでにない価値を持った酒を造りたい」と模索の日々を送っていた。そんなおり、幼少のころから師と仰ぐ先輩から、高級ワインの試飲会に誘われた。世界を目指す酒造りを表明していた則吉氏に「お前は世界のワインを知っているのか?」と問われ「たしかに、なにも知らないな」と軽い気持ちで参加したのだ。
そこには世界に名だたるワインがそろい、その味もさることながら、感銘を受けたのが、「ヴィンテージ」という概念だ。その畑、その年に採れたぶどうを熟練の技で醸造し、熟成させることによって醸し出す価値。二度と同じものを作ることができない唯一無二の存在であることで突出した評価を得、数万、数十万円と価格に反映される。しかもそれはどんどん消費され減っていくがゆえに価値は上がっていく一方なのだ。
また、ワインは乾杯からアペタイザーにシャンパーニュ、魚に白、肉に赤といったように料理とのペアリングによるマリアージュも楽しみどころだ。それもまた、日本酒にはない楽しみ方で、これこそがワインの価値を高め世界的に評価されている理由であると確信したという。シャンパーニュに独占されている乾杯酒の地位に、日本酒で殴り込みをかける。明確に造りたい酒、そして世界観が固まった瞬間だった。
あくまでも“日本酒”というこだわり
酒蔵というのは、昔から伝統とイノベーションの連続で成り立っていると則吉氏は言う。決して旧態依然としたものではなく、伝統を守るために、より洗練された技術革新は数百年にわたり続けられてきたのである。しかしまったく新しいコンセプトの酒を造るにあたり、父の蔵元や当時副社長であった母に相談すると、大反対されてしまった。蔵の建て替えをしたばかりであり、借入金の返済も終わっていないのに新規に開発する余力もないというのだ。どうしてもあきらめきれない則吉氏は、自身の貯金や給料を担保に数十本の単位で実験的に新しい日本酒造りを始めた。
酒を寝かしてみると、3年でピークが来てしまう。それ以上寝かせるとソトロンという成分が出てきて、紹興酒のような枯れた味になってしまうのだ。則吉氏が目指すのは、10年以上の歳月を経てさまざまな味わいがまるでミルフィーユのように複雑に絡み合って完成する熟成酒。新酒とも古酒とも違う全く新しい味わいを追求して、完成したものだけを世に送り出す。定点観察で繰り返し状態を見続ける、その繰り返しだ。
一方で、乾杯用の泡の酒にはさらに苦戦した。失敗の回数は5年間で実に700回。透明で、かつシャンパーニュに劣らぬ細かな泡がたちのぼる日本酒——。どうしてもガスがあがってこず、満足のいく酒にならない。日本酒は米と水と糀以外、なにも添加しないことが鉄則だ。炭酸ガスや糖分を足せばいいのだろうが、それではリキュールになってしまう。則吉氏が造りたいのはあくまでも米と米麹のみの伝統製法で造る日本酒。300回目の失敗をしたとき、則吉氏はシャンパーニュ地方のワイナリーや研究所に1カ月間研修することにした。シャンパーニュと同じ、瓶内二次発酵という手法を取り入れてはいたが、実際の醸造所の様子を目の当たりにすると、視点が変わり失敗の理由もあきらかになっていったという。
かくして長い歳月を経て『NAGAI STYLE』が2014年に完成。乾杯のAWA SAKE(スパークリング日本酒)から始まり、従来のブランド酒『水芭蕉』をStill Sakeとして前菜から魚介料理に、メインディッシュにも合わせられる『VINTAGE Sake』、デザートに甘口のお酒『Dessert Sake』まで、4つのカテゴリーでディナーコースにペアリングすることができる一連の酒シリーズを世にリリースする運びとなった。
注目を浴びたのは言うまでもなく、日本酒二千年の歴史の中でも類を見ない、進化した日本酒・AWA SAKE(スパークリング日本酒)だ。シャンパングラスでいただくスタイルはまさにハレの席での乾杯にふさわしい。そして、ヴィンテージ日本酒はそれぞれにシリアルナンバーを付けて販売する。付加価値のある日本酒の誕生だが、則吉氏は「ここからが始まりだった」という。
広報の必要性
日本酒をワインと同じ土俵に上げることには成功した。次は、それをどう世界に広げていくか。
懇意にしていた酒販店では好意的に取り上げられたし、地元の新聞なども取材にきた。だが、当時海外向けのPRを委託していた広報担当の女性に「きちんと広報に取り組んだらいかがですか?」との言葉を投げかけられたという。「ちゃんとやっているよ!」と応じた則吉氏であったが、「広報戦略を立てていらっしゃらないと思います」と、こんこんと広報のなんたるかを1年かけて教え込まれ、これまでのやりかたをがらりと変えることに。その女性こそが現在永井酒造の取締役を務める永井松美氏である。
松美氏によると、それまでの永井酒造は「甲子園で例えるなら“地方大会で優勝した”程度」。まだ全国戦や世界に勝負できていない、というのだ。「広報とは、どうありたいか、をこちらから戦略をもって発信していくものです。ただ新商品を発表して取材を受けるのとは違う」。もともと米系の観光局やカリフォルニアワインで有名なナパバレーを中心にワインのPR事業に長く携わってきた松美氏。グローバルな視点から気づいた点を次々に則吉氏に提案していった。たとえば、アメリカでは当たりまえの、企業としての環境保全活動、消費の要を握る女性に向けたPR——。「業界の“常識”を知らなかったからこそ、自由な発想ができたのではないかと思います」と松美氏が話すように、女性が手に取りやすいようにとデザインされたMIZUBASHO Artist Series(水芭蕉アーティストシリーズ)や、ブライダルファッションデザイナー桂由美氏とのコラボレーション商品など一見すると日本酒とは思えないやさしく華やかなイメージを作り上げることに成功している。
また、日本酒を通して女性のエンパワーメントに貢献したい、という松美氏の想いが反映されているのも非常にユニーク。専門的に活躍する女性を「ミューズ」に認定し、彼女たちのライフスタイルに永井酒造の日本酒を取り入れ発信してもらっている。ミューズの選定にはとても気を遣っており、実際に日本酒好きであることもさることながら、自立していて芯の通った女性を選んでいるという。松美氏が前面に立ち、男性が女性をコントロールしている図ではなく、女性による自発的な活動であることを印象付ける。単なるイメージ戦略ではなく、メッセージ性があることで多くの企業からも共感を得、思わぬところからコラボレーションのオファーがくるようになったという。
PRは品質が伴って初めて奏功するもの。「スペックの高さを語るだけではPRではないことに気づかされた」と則吉氏も話すように、品質とPR戦略がタッグを組むことで飛躍的な広がりに結びつくのである。
日本酒業界全体の底上げに貢献
数百年前に完成したはずの日本酒が、さらなる進化を遂げたことは少なからず日本酒業界に衝撃を与えた。揶揄する声よりも好意的に受け取る向きの方が多かったというが、もちろんその進化を認めない人もいる。則吉氏は「そういう人の言うことは、ぜんぜん聞かない」と一笑に付す。「この世界観、想いとビジョンを共有できる人たちで新しいスタイルを造っていけばいい」。
実際のところ、永井酒造では泡酒の製法特許を取得しているものの、決してクローズドではない。製法などの情報を共有し、2016年に『awa酒協会』を設立して普及に努めているのだ。現在全国32の蔵が加盟しており、AWA SAKEは着実に存在感を増している。この新しい酒は平均5000円ほどの単価がつけられ、多くの酒蔵にとってそれはこれまでの主力商品の倍以上ほどの価格だ。「目的は日本酒の価値創造ですから」と、首尾一貫してぶれない則吉氏の想いは実を結びつつある。
『MIZUBASHO PURE』が完成するまでの10年間、700回もの失敗をし、かつあわや倒産かというところまで追い詰められたこともあったが、「何度失敗しても、常にわくわくしていた」と話す則吉氏。「自分がしていることにときめいていなければ、社員も人もときめかせることはできない」という。ただ、その根底には築き上げた信用があることも付け加えた。「真に価値があるからこその酒であり、この酒を通して、人間関係も深まっていく。「進化」は「真価」と「深化」にもつながっていると思います」。
企業データ
- 企業名
- 永井酒造株式会社
- Webサイト
- 設立
- 明治19年(1886年)
- 資本金
- 4,000万円
- 従業員数
- 29人
- 代表者
- 永井則吉 氏
- 所在地
- 群馬県利根郡川場村門前713
- Tel
- 0278-52-2311
- 事業内容
- 清酒の製造及び販売