本田技研工業創業者
本田宗一郎と藤沢武夫(本田技研工業) 第5回 流転の前半生
著者・歴史作家=加来耕三
イラスト=大田依良
"ホンダ"のもう一人の創業者ともいうべき、藤沢武夫が生まれたのは、明治43年(1910)の11月、東京の小石川区(現・文京区)においてであった。
上に姉が二人あり(うち長姉は里子)、父・秀四郎は広告代理店の仕事をしていた。
大がらではあったが病弱な藤沢は、3歳のとき肺炎にかかり、その後も病気がちな内向的な少年に育った。
加えて、運動神経が鈍く、友だちと外で遊ぶというよりは、室内で読書にふけるタイプであったようだ。
比較的恵まれた環境の中に育った藤沢だったが、関東大震災で父の仕事が立ち行かなくなり
「メシを腹いっぱい食え、決して量を決めてはいかぬ」
と常々いっていた父は、
「男はどんな逆境にあっても、決して自らの心を卑しくしてはならない」
と息子への教訓を改め、借金取りに追われる貧乏生活を余儀なくされる。
昭和3年(1928)4月、どうにか中学校へ進学したものの、藤沢は貧困から逃れるように読書にふける日々を送り、奨学金制度のある東京高等師範学校を受験するも失敗。病床に伏した父にかわり、一家の家計を担うことになった彼は、他人とのコミュニケーションがうまくとれず、定職にもつけないまま、日雇い仕事に出たり、「筆耕屋」(ハガキの宛名書き)をしたりして、懸命に働いた。が、家運は一向に挽回できない。
それどころか藤沢も、本田宗一郎と同様の、貧しいがゆえに差別される経験をしていた。
また、彼は幹部候補生として軍隊にも入隊したが、物事を深く考えず、一方的に記憶するだけの訓練に馴染めず、「少尉」にはなれぬまま、「伍長」で除隊となっている。昭和6年のことであった。
昭和9年2月、鉄を扱う小売商『三ツ輪商会』へ、藤沢はようやく入社する。 店の店員は10人ほど。藤沢の月給は15円だった。筆耕屋で月40円余だったことを思うと、三分の一に減ったといってよい。
父はこの入店に反対したが、藤沢は鉄が百貨店では売っていないこと。ならば開拓の余地はある。学歴も関係ない、とこの未知の世界へ飛び込んだ。
当初、ブローカーのような仕事をしていた「三ツ輪商会」も、広島に本社を置く高速度鋼の丸二製鋼所の、東京営業所の看板を得、売り上げをあげていった。
時代はまさに軍国主義が幅を利かせており、中国大陸での戦火の拡大は"鉄"の需要を拡大していた。
無口で口下手な藤沢は、「誠心誠意」をモットーに少しずつ頭角をあらわし、とりわけ店主が出征してからは、キャリアの少ないわりには事実上の経営者として手腕を発揮する。
昭和十四年には独立へむけて切削工具をつくる「日本機工研究所」(匿名組合)を板橋に設立するまでになった。28歳のときである
「メーカーでなければ、これからは生き残れない」
との読みであったが、当面、二足のわらじをはいて、一方では製品づくりのイロハからスタートした藤沢は、新会社の工員30人をかかえて、常に金策に走りまわる苦しい日々を経験した。
もし、技術部門を誰かに任せっきりにできて、自分が経営にのみ専念できたら、と彼が考えたとしてもおかしくはなかったろう。
そうしたおり、藤沢は取り引き先の中島飛行機から一人の技師を出迎える。切削工具の検査にやってきた、竹島弘であった。のちに、藤沢を本田と引き合わせることになる人物である。
太平洋戦争に突入してまもなく、アメリカの反転攻勢が伝えられると、藤沢は福島県へ工場ごと疎開することを決断した。
すでに結婚し、一男一女を得ていた藤沢は、工場を稼動させる前に終戦を迎える。
戦後復興をみこして、製材屋に衣替えした彼は、東京へ進出するタイミングと次になすべく事業について考えをめぐらせていた。
昭和23年の夏、上京した藤沢は市谷で竹島と再会。このとき彼は商工省(通産省の前身)に勤めを替えていた。
「これからは東京だ」
という竹島の言に、藤沢はすぐさま帰京を決断。池袋に材木屋をひろげ、その半年後に杉並の阿佐ヶ谷にあった竹島の自宅で本田と出会った。
(この項つづく)
掲載日:2006年3月23日
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