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実り豊かな“理想郷”で洋菓子作り、子どもたちの夢も応援「株式会社菓子工房COCOイズミヤ」
2023年 7月 31日
山形県南部の高畠町で地元の食材を活かしたケーキや焼き菓子を製造・販売する菓子工房COCO(ココ)イズミヤ。代表取締役の庄司薫氏をはじめ、女性ばかりのパティシエたちが取り組んでいるのが、子どもたちの夢の実現を応援しようという「夢ケーキ」だ。自分の夢を描いたケーキを作り、夢を発表する。「それが夢をかなえる第一歩」。そう話す庄司氏自身も多くの人たちの応援を得て自分の夢の実現に向かっている。
小学生時代に食べたケーキに衝撃、パティシエを目指す
高畠町が位置する米沢盆地は置賜(おきたま)盆地とも呼ばれる。高い山々の中に突如として現れる平坦な土地はまさに別天地。山形県出身の歌人、結城哀草果(あいそうか)は「置賜は国のまほろば」と詠み、19世紀の英国の女性旅行家、イザベラ・バードは「東洋のアルカディア」と評し、いずれも理想郷を意味する言葉でこの地を称えた。最上川の上流部となる実り豊かな大地では野菜や果物の生産が盛んで、とくに高畠町は種なしブドウの定番、デラウェアの出荷量が全国一、さらに国内のラ・フランス発祥の地ともいわれる。
ココイズミヤは、1923年に庄司氏の曾祖母・本田みわのさんが職人を雇って糠野目村(現在の高畠町)で和菓子店「和泉屋」を創業したのが始まり。三代目・本田雅昭さん(庄司氏の父)の代になり戦後の高度成長期を迎えた頃、店の職人が「これからは洋菓子の時代だ」と言って東京・六本木の洋菓子店に転職。その職人が山形に帰省した際、雅昭さんに洋菓子作りを教えたことで和泉屋は洋菓子も扱うことになった。当時、小学生だった庄司氏は、職人が持参したケーキのおいしさに衝撃を受けた。「こんなにおいしいものを地域の人たちにも食べてもらいたい」と考えた庄司氏はパティシエの道へ。高校卒業後に都内の洋菓子店で3年間修業を積み、腕を上げて別の店で働こうとした矢先、高畠町内に2号店(現在の本店)を出すことにした父親から手伝いを頼まれ、1980年に故郷に戻った。
店舗再開を機に株式会社化、代表取締役に就任
結婚、出産を経て故郷で家族とともに菓子作りを続けていた庄司氏に2006年、転機が訪れた。家族の病気が相次ぎ、店を半年間閉める事態に。その後、再開するのを機に2号店を大幅に改装することにした。そして、金融機関から1000万円の融資を受けるにあたり、菓子工房COCOイズミヤとの社名で株式会社化し、庄司氏が代表取締役に就任した。
ところが経営は思わしくなかった。再開時に雇用した社員の給料のほか、法人化により建物の所有者である父親へも賃借料を支払うことになるなど、思いのほか経費がかさんだのだ。「経理のことなどわからないまま経営者となっていた」と振り返る庄司氏は経営者としての修業が必要だと痛感。そんな折、契約している警備会社の担当者から山形県中小企業家同友会への入会を勧められ、入会することになった。その後、2011年には同友会の経営指針セミナーを半年間にわたって受講。「私たちは、心に響き、心に残るおいしさで、元気と笑顔を届けます」「私たちは、人々の想いをつなぎ お菓子の和で地域に夢を広げます」「私たちは、お菓子への志をひとつにして 夢を育み、さらに輝き、一緒に幸せを築きます」—という経営理念を作成した。
様々な想いを込めて練り上げた経営理念だが、周囲の反応は冷ややかだった。父親からは「経営理念なんか作るより、おいしいケーキを作れ」と言われるなど、社内はぎくしゃくした雰囲気に。再開時からの社員が辞め、その後も社員は定着しなかった。そんな状況が数年続いた末、庄司氏は覚悟を決めた。当初は家族への遠慮もあって社内融和を優先していたが、「自分が作った経営理念なのに自分自身が守っていないではないか」と気づいた庄司氏は、理念に込めた想いをあらためて説いた。それでも賛同を得られない場合には家族であっても毅然とした態度を示した。これを機に、まるでつきものが落ちたかのように庄司氏は理念に基づく経営を突き進めることになったという。
生産者の想いをつなぐ菓子作り、志をひとつにする月次会議
経営理念は普段の菓子作りで実践されている。たとえば「人々の想いをつなぎ~」は、地元の食材を活用することで生産者の想いをつないでいる。冬季限定のバターサンド「こりすのふゆじたく」もそのひとつで、地元名産のデラウェアを使用した人気商品だ。なお、商品名にあるリスは、店内でてきぱきと働く女性ばかりの社員の様子をイメージしたネーミングで、商品のパッケージだけでなく、今ではココイズミヤのキャラクターとしてホームページや名刺などにもリスのイラストがデザインされている。
また、「お菓子への志をひとつに」の理念を具現化したのが全社員参加で開催される月次会議だ。月々の経営状態を振り返り、原因などを分析し、翌月の目標に向けて対策を話し合う。トップダウン方式で庄司氏が方針を伝えるのではなく、社員ひとりひとりが各自の目標と併せて発言していく。入社2年目の社員は「とても発言しやすい雰囲気。経営に関する様々な数字もオープンにしているので、自分も社員のひとりだという認識をあらためて実感できる」と話す。
クラウドファンディングでキッチンカー購入し「どこでも夢ケーキ」
経営理念に何度か登場するキーワードが「夢」。これは菓匠Shimizu(長野県伊那市)の代表取締役シェフパティシエ、清水慎一氏が提唱した「夢ケーキ」に感化されたものだ。夢ケーキとは、子どもたちが自分の夢を絵に描き、パティシエと一緒に夢を描いたケーキを作ってプレゼントするという企画。夢ケーキを囲んで子どもの夢について家族が楽しく和やかに語り合う。そんな家族団欒の時間と子どもたちの夢の実現を応援するものだ。
経営指針セミナー受講時に夢ケーキを知った庄司氏は、清水氏が立ち上げたNPO法人「Dream Cake Project」に参加。10年前からイベントを始めた。当初は自主開催として参加者を募っていたが、やがて評判を呼び、幼稚園や保育園、小学校などから依頼を受けるように。月1回ほどの頻度でイベントを開催するようになった。
コロナ禍で開催できなくなると、コロナ対策として多くの飲食店が導入するようになったキッチンカーに着目。その資金集めにクラウドファンディングを活用した。昨年11月にクラウドファンディングのサイトで『「どこでも夢ケーキ」が出来るキッチンカーを購入したい』とのプロジェクトをスタート。2カ月足らずの期間に目標の100万円をはるかに超える230万円が集まった。それとは別に、プロジェクトのことを知った常連客らが「あなた(庄司氏)の夢を応援したい」と直接、現金を店に持ってくることも相次いだ。
集まった資金で車を購入。おなじみのリスのデザインをあしらったラッピングも済ませ、今年3月には高畠町の施設でお披露目式を実施した。その後は高齢者施設や各種のイベント会場での出張販売の依頼が数多く寄せられ、出番は月4、5回ほどの人気ぶりとなっている。本来の目的である夢ケーキでの稼働もあり、今年6月には山形市内で行われた婚活イベントに呼ばれた。参加者は20~40代の男女だったが、「最初は恥ずかしそうに自分の夢を大人が語り始める様子を目にして、大人の夢ケーキも意外といいかも、と思えた」と庄司氏と話す。
創業100年の節目に夢の新店舗オープンへ
夢ケーキのイベントで庄司氏は参加者に対してこう話している。「夢を口にする、形にしてみる、話し合ってみる。それが夢をかなえる第一歩。夢のことを聞きつけて、夢を応援する人が出てくる」。これは実体験に基づく持論であり、たとえば夢ケーキのキッチンカーもクラウドファンディングという形で公にしたことで、多くの人たちが出資という形で応援してくれた。
そして、もうひとつ庄司氏の大きな夢が実現しようとしている。今年12月オープン予定の新店舗である。高畠町内に約3600平方メートルの敷地を取得し、屋久杉など木材をふんだんに使った平屋建ての店舗を建設中だ。厨房やカフェのほか、子どもを持つ社員らのための保育室も併設する。
新店舗建設の夢を抱いたのは4年前。庄司氏は、オーストリア・ウィーンの老舗菓子店で修業した横溝春雄氏がオーナーシェフをつとめる「ウィーン菓子工房リリエンベルグ」(神奈川県川崎市)を社員と一緒に見学した。メルヘンの世界を彷彿とさせる店の様子を目の当たりにし、「いつかこんなお店を持ちたい」との思いを強く抱いたという。ただ、当時はまだ店舗改装時の借金を返済中(現在は完了)。さらにコロナ禍にも見舞われ、新店舗の夢は厳しいかと思われた。しかし、庄司氏は機会あるごとに新店舗の夢を口にした。やがて「建設地にいい土地がある」などと応援する人たちが徐々に現れ、「だんだんやれる気になっていった」(庄司氏)という。費用も当初は7000万円を見込んでいたが、話が進むうちに計画が広がり、結局1億円を超える規模となった。
創業から100年の節目の年に新店舗は完成する。それでも敷地にはまだまだ余裕がある。「この先10年、15年かけて、ガーデンウェディングやイベント会場なども整備したい。ケーキを買い求めるだけでなく、地域の人たちが自由に出入りするような集いの場所にしていきたい」と庄司氏は話している。
企業データ
- 企業名
- 株式会社菓子工房COCOイズミヤ
- Webサイト
- 設立
- 2006年(創業は1923年)
- 資本金
- 450万円
- 従業員数
- 8人
- 代表者
- 庄司薫 氏
- 所在地
- 山形県東置賜郡高畠町大字福沢141-1
- Tel
- 0238-57-4456
- 事業内容
- 洋菓子・和菓子製造販売・カフェ