ソニー創業者

井深大(ソニー) 第1回 成功の条件

著者・歴史作家=加来耕三
イラスト=大田依良

筆者には、“昭和のおやじさん”と畏敬と慕情を込めて呼ぶ人々がいる。

戦後の荒廃した日本で産声をあげ、小さな町工場から出発し、ついには世界に冠たる大企業を創りあげた創業者たち。

たとえば、“松下”の松下幸之助、“ホンダ”の本田宗一郎、“ソニー”の井深大などで、彼らはさしずめ“平成のおやじさん”とでも呼ぶべき、昨今の中小企業主にとっては、ときに神であり、憧憬の的であり、目標であることが少なくない。

その“昭和のおやじさん”のなかでも、本田と井深は年齢が近いということもあり、仲が良かった。

井深の名著に『わが友本田宗一郎』というのがある。

これに2人の対談がつづられているのだが、なかに次のような興味深いくだりがあった。

本田

僕たちの時代は、終戦直後でしたからね。こんな会社にしようかといった大それた理想はありゃしない。なんといっても昭和二十年から二、三年は食うのに一生懸命だった。私も御多分にもれずに食うのに困ってなにかをやらなければならないという気持だったからね。 (中略)

最初から世界一なんて思いもしなかった。せいぜいよくてでっかい企業になればいいなあと思ったぐらいだよ。はじめはこれをやるといった目的のためにやったのじゃない。どんな企業でも同様だと思う。

それが一歩一歩進んでいくうちに欲が出てだんだんと夢も大きくなる。つまり欲の積み重ねが、ここまできたというのが現実ですよ。

井深

私も全く同じでした。(中略)

ただ、本田さんも同じだと思うが、人がやるだろうということをやっていたんじゃ勝ち目はない。資本金も設備もないし、ないないづくしのところでは、大手が復旧してきたら必ず一も二もなくやられてしまう。大手がやらんことだけをやろうと思った。なんぼ小さくてもいいから技術屋でみんな寄っていればなんとか食えるだろう、という安心感もあったね。(中略)

本田

お互いに苦労したが、そのころは世界一になろうなんて思わなかった。そんなこと思ったらつぶれていただろう。

——これが、各々の分野で、“世界一”と呼ばれる企業の真実であった。

その一方で、無数の町工場主が現状維持に追われ、悪くすれば倒産で消えていた。

“昭和のおやじさん”とその他——いったいこの両者の大きく隔った明暗は、何に由来するのだろうか

結論から先に述べるようで恐縮だが、筆者はスタート時の町工場における技術と忍耐。中小企業に成長したおりの新たな人材の発掘・登用と、世界に向けての志の大きさ。

大きくこの2段階における各々の要因に、集約できるのではないかと考えてきた。
今回は“ソニー”の井深大の生涯を追いながら、この点を検証してみたい。(この項つづく)

掲載日:2006年1月5日