起業のススメ
「アイデアプラント」アイデアを生み出す仕組みを体系化
日本の開業率は5%前後と、欧米などと比べて低い水準にある。新たな価値を生む企業が次々と生まれてほしい-。国の未来を憂う熱い思いから、杜の都・仙台からアイデアやイノベーション創出を支援する会社、アイデアプラントを立ち上げたのは石井力重社長だ。
ひらめく方法学ぶ
「創造的な人や組織が次々と生まれてくる社会をつくりたい」。アイデアプラント代表の石井は力を込める。同社はブレインストーミングやTRIZ(発明的問題解決法)を学習するツールの企画販売、石井によるワークショップや講演を手がける。テーマは主にアイデア創出やブレインストーミングで講演料は1日55万円。それでも年間50件以上の依頼があり、年間約2000人の前で講演する。顧客は企業、大学、行政など幅広いが6割が大企業の研究開発部門などだ。
高額な講演料には訳がある。石井は1回の講演テーマにつき徹底的な調査、分析を行う。例えばアイデア創出のワークショップを開く場合、石井の仕事はこんな問いかけから始まる。「どうしてそのアイデアをひらめいたのですか」。対象は組織内で高いパフォーマンスを発揮する“アイデアマン”と呼ばれる人たちだ。大抵、曖昧な答えが返ってくるので質問を変える。
アイデアマンの思考方法は暗黙知で、体系的に学ぶことはできないとされてきた。石井は創造工学の手法で質問を繰り返して、少しずつ彼らがアイデア創出に至る過程を明らかにする。それを受講者に追体験させて、アイデアの生み方を学べる仕組みだ。
才能を商業的価値にするには
石井は東北大学大学院理学研究科を出た後、技術商社へ就職した。在学中は学者を目指したが、周囲の才能を前に諦めざるを得なかった。同時に、彼らの才能や大学のシーズが必ずしも商業的価値につながっていない現状を知る。イノベーティブな新技術が事業化する過程で本質的な価値を失う事例もあった。「最先端技術を商業化できる人材になりたい」。技術商社は格好の修行場に思えた。
転機は30歳で訪れた。新しい家族の誕生を喜びながら、ふと父親の背中がよぎった。石井の父は裸一貫から町一番の水道屋を築いた。作業で真っ黒になって帰ってきては読書にいそしむ。会話はなくとも背中が仕事のやりがいを物語っていた。
翻って今の自分はどうだろうか。日々の仕事に忙殺され、初心は薄れかけていた。娘に見せる背中は価値ある仕事をする自分でありたい。石井は退職し、母校の門を叩く。
多くのアイデア
2004年、東北大学大学院工学研究科技術社会システム専攻に入学。研究開発をいかに事業につなげるかを学んだ。再びの転機は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)フェロー就任。宮城県内の中小企業の支援に参画したことだ。多くの企業と触れ合ううち、日本に欠けているのは、より多くのアイデアを出す土壌だと気付いた。
ブレインストーミングを指導するうちに、「指導者がいなくても体験できるツールがあれば」と2007年、カードゲーム「ブレスター」を発売。爆発的に売れた。今でも半年に数百個売れる看板商品だ。2008年に創造工学を学ぶため経済学研究科に転籍。在籍中の2009年4月1日にアイデアプラントを創業した。
石井は今後、世界における日本の存在感は小さくなるとみる。それでも「創造的な会社が毎年出るような、アジアで光る国でありたい。受講者の中から、創造性を発揮し、起業したり、会社を変えるような存在が生まれてほしい」と、今日も全国を飛び回る。
(敬称略)
起業するのに地域は関係ない。「東京にいないと起業のハードルが高い」と言う学生がいるが、それは言い訳だ。私は仙台の大学で学んで、その後も仙台を拠点にしているが、ブレインストーミングツールは、言語さえ変えれば世界で使える。将来は仙台から世界展開したいと思っている。大切なことは、どこで起業するかではなく何を起業するかだ。
掲載日:2016年3月28日
企業データ
- 企業名
- アイデアプラント
- Webサイト
- 設立
- 2009年4月
- 代表者
- 石井力重
- 所在地
- 宮城県仙台市青葉区通町2-5-28