中小企業のイノベーション
世代ごとに新規事業を取り入れる山翠舎 「失敗しない確率」を上げて機動力を後押し【株式会社山翠舎(長野県長野市)】
2024年 1月 12日
地元・長野に木工所として創業して90余年。株式会社 山翠舎は代替わりをするたびに新しい事業を興し、革新し続けている。三代目社長・山上浩明氏の代では古民家の再生に注力。古木™を用いた商業建築の専門業者として全国に名を知られるようになった。建具屋から古木事業へ、そしてゆくゆくはデベロッパーに。夢を追い、次々と事業を軌道に乗せていくその秘訣を山上社長に聞いた。
古材をデザインに活かすという斬新さ
近年よく聞く“古民家風”という言葉。レトロモダンでノスタルジック、落ち着きのある独特な空気感を醸し出せるとしてカフェやレストラン、宿泊施設といった商業施設が増えている。この流行には、SDGsの認知拡大だけでなく、コロナ禍を経て見直された田舎暮らしや、文化的理由による古民家再生プロジェクトの推進などの背景がある。だが、山翠舎の古木事業が軌道に乗っているのは、ブームのおかげだけではない。
山翠舎が古材を利用しはじめたのは今をさかのぼること40年近くも前のことだ。1930年に山上松治郎氏が建具屋『山上木工所』を創業し、1970年に松治郎氏の長男である建夫氏が社長に就任すると、建具だけでなく一般建築をも手掛けるように。商業建築に特化し、東京に営業所を構え全国展開する店舗の内装を請け負った。その内装デザインで使用したのが古材。注文されたイメージを完成させるために海外から輸入して用いたのがきっかけだ。当時はバブル経済の真っただ中。リサイクルや環境問題など誰の頭にもなかったこの時代に、古材を使用するというアイデアは実に斬新で、「これは」と思わせるものがあった。だが、長野では、古民家がどんどん解体されて古材はただ廃棄されていくばかり。それなのに古材をわざわざ海外から取り寄せるとは。そんな疑問から、同社では古材を扱うようになっていった。
“跡継ぎではない三代目”のベンチャースピリッツ
一代目・松治郎氏の建具屋から二代目・建夫氏の代に商業建築業に転じた山翠舎(※1986年に社名変更)だが、三代目・浩明氏はというと、建築とはまったく違う道を歩んでいた。「父から後を継いでほしいと言われたことは、一度もない」といい、大学時代は経営工学科で環境問題に関する研究にいそしみ、卒業後はソフトバンク社で営業として手腕を振るった。社長賞を獲るほどに活躍していた浩明氏だが、「ここでがんばってもしょせん先が見えている」と考えるようになったという。
そんな折、かつての勢いを失いつつある家業を見て、長野に戻ることを決意。学生時代にIT系ビジネスを興したこともあり、もともとベンチャースピリッツを持っていた浩明氏ゆえ、会社を盛り立てる気は満々。しかし、父に入社希望を相談すると、「お前には向いていない」とあっさり断られてしまい、入社を許されたのは3度目にお願いした2004年だという。事業の“跡継ぎ”として期待されての入社ではなかったが、三代目・浩明氏がまず取り組んだのが、古材事業だった。
本来廃棄処分になるはずの古材だが、戦前に建てられた古民家に使用されていたものは時間が経つごとに乾燥して強さを増し、百年以上でも家屋を支える強度を持つ。一本一本形が違い、寒冷地の古民家を支えた梁は驚くほど太い。囲炉裏の煤が染みついた、人の手では作り出すことができない風合い、木目の文様など、それぞれに価値がある。持ち主をなくし解体されることになった古民家には、その家が歩んできたストーリーもあるのだ。そんな古材の価値をもっと高めたいと、木材商だった母方の祖父の倉庫も借りて本格的に古材の買取販売に乗り出した。
“失敗しない確率”が自信の裏付けに
「はじめはまぁ、そんな思うようには売れませんでしたね」。
設計事務所に営業をかけて、注文が入るのを座して待つだけでは利益につながらない。数本ずつ売っても割に合わないのだ。こんなに魅力のある建材なのに、「みんな古材なんてほしくないんだ?」と気落ちすることもあったというが、事業を振り返ってみると「ターゲッティングが甘かった」ことに気づく。そこで2009年、自社でショールームを展開し、こちらから建築デザインのアイデアごと売り込むことにした。長野にはそれほどマーケットがないため、東京の拠点を中心に飲食店にターゲットをしぼり、プレゼンテーションもより具体的になった。ちょうどこの年に始まったデザイン会社と内装工事を希望する飲食店のマッチングサイト「店舗デザイン.com」のコンペに積極的にデザインを出し、勝ち続けることで古材を用いたデザインの周知に尽力した。
なかなか軌道に乗らない古木事業だが、「先見性のありすぎる挫折」と浩明氏は一笑に付す。これほどまでに積極的にビジネスを仕掛けていけるのは、浩明氏には勝算があったからだという。
「事業を開始するにあたって重要視するのは“失敗しない確率”なんです」と浩明氏。つまりポテンシャルの高さを意味するが、浩明氏には明確にその判断基準がある。「銀行がお金を貸してくれることと、自治体などの補助金の対象になるか、ですね」。どちらも融資(補助)するに値するとお墨付きをもらったようなものゆえ、自信をもって突き進んでいけるというわけだ。
徹底したブランディングにより価値向上
もちろん、ただやみくもに突き進むわけではない。実践しているのは、大学で学んだビジネス戦略のひとつ、「ランチェスターの法則」。誰もがやっている正攻法ではなく、ニッチな独自のやりかたでブランディングをするというアイデアで、ここに浩明氏の古材への愛がさく裂する。まず、「古材」と呼ぶのをやめ、徹底して「古木」という言葉を使うようにした(※のちに『古木/KOBOKU™』を同社で商標登録)。単なる廃材の再利用ではなくて、古木は価値の高い資材のひとつなのだ。そして、「古木には1本1本、ストーリーがある。このストーリーごと古木を売るのです」。古材を扱う業者はほかにもある。だが、同社の古木倉庫に収められている古木は、それぞれ出自がわかるようになっている。雪深い地域で幾冬も家を守り続けてきた太い梁。職人の手業が残る古木もまた、ストーリーの一部だ。今ではこのストーリーをNFCチップに情報を入れ込み,古木の中にいれることも開始。デジタル化も促進している。こんな風に古木を管理している会社はほかにない。その世界観に共鳴する施工主は国内にとどまらず、現在は海外からも視察や受注が増えてきているという。
そんな古木をストックすることができるのは、古民家解体の時点ですでに山翠舎が関与しているから。解体を望むオーナーに対し、古木を買い取った分を解体施工費から減額する。Win-Winの関係を築き上げることで良質な古木をコンスタントに入手することに成功している。「古木は、集めるのも加工するのも大変。その点、当社は長年の技術の蓄積も伝手もある。だから競争相手がいないんです」。ランチェスター戦略は確実に功を奏している。
目指すは地域に根差すデベロッパー
2012年に山翠舎社長に就任すると、浩明氏はいよいよ古木事業を拡大し、古民家移築再生事業をも手掛けるようになった。空き家問題などもあり、全国的に古民家再生事業が広がりつつある昨今、同社では職人が編み出した『古民家ジャッキアップ工法』を特許出願中で、独自技術を強みにしている。
「ゆくゆくは、解体される古民家をなくしたいんですよね」と話す浩明氏。「SDGsとかではなくて、単純にもったいないじゃないですか」というものの、実は古木に携わる職人さんを守り、昔ながらの工法で建てられた伝統家屋を後世に残したいという気持ちがあるという。バリバリのベンチャースピリッツの奥底に垣間見える、人や故郷を想う人間味。2019年には『グッドデザイン賞』を受賞しているが、こうしたモチベーションの部分が評価されたことも大きい。地元・長野になにか貢献したいという想いが高じて、2021年には小諸活性化事業をスタートさせている。自ら街を歩きながら、空き家になっている古民家をどのように再生できるかを考える日々。例えば、空き家だった蔵をイートインコーナーもあるベーカリーに再生し、善光寺への観光客に人気のスポットに。卸業者の倉庫だったというビルは自社で運営するコワーキングスペースとなり、カフェも併設し地元の人々の憩いの場にもなっている。
「地元企業の強みを活かして、街をどんどん魅力的にしたい。今、目指しているのはデベロッパーになること」と話す浩明氏。公益性の高い事業であることに加え、グッドデザイン賞だけでなく、『信州SDGsアワード』などの賞にも輝いたことから“負けない確率”はぐんぐん上がっているにちがいない。
企業データ
- 企業名
- 株式会社山翠舎
- Webサイト
- 設立
- 1930年
- 資本金
- 3000万円
- 代表者
- 山上浩明 氏
- 所在地
- (本社)長野県長野市大字大豆島4349-10
- Tel
- 026-222-2211
- 事業内容
- 古民家移築、解体、建築・商業施設内装の古木専門施工、商業施設(飲食・物販)内装の設計及び施工、空き家古民家の再生賃貸事業、イベント・コワーキングスペース施設等の運営