人手不足を乗り越える

社員と地域に貢献する経営で成長【株式会社坂口捺染(岐阜県岐阜市)】

2024年 6月 20日

坂口社長(中央)と社員
坂口社長(中央)と社員

株式会社坂口捺染(岐阜市)の坂口輝光社長は、岐阜でちょっと知られた存在だ。父親から継いだ衣料プリントの会社を急成長させ、従業員数も倍々で増えているなど、経営者としての手腕は評価が高い。それに加え、社内に駄菓子屋を開店して、近隣の子どもたちの居場所づくりをしたり、地元のラジオ番組でパーソナリティーとして若者の相談に乗ったりと、八面六臂に活躍している。派手な見た目とは裏腹に、どうすれば周りの人たちを楽しく、幸せにできるのかを真剣に考え、実行に移す真摯な姿が共感を呼ぶ。こうした姿勢は採用にも好影響を及ぼしている。

SNSの呼びかけに70人が応募

付加価値の高いプリント加工を手掛ける
付加価値の高いプリント加工を手掛ける

「パートさんを募集します」。ある日、坂口社長がSNSに書き込むと、次々と応募の返信が寄せられる。今回は5日間募集して70人から応募があった。その人たちを集めて、仕事内容や働き方について説明会を開催し、もう一度意向を確認すると40人が残った。最終的に同社はその中から10数人を採用することにした。これが坂口捺染の求人スタイルだ。大手求人サイトで高いコストを払って募集してもなかなか人が集まらない時代に、なぜ同社にはこれだけの応募が来るのか。

同社は坂口社長の祖父が着物の染めを行う会社として創業した。父親の代になってパジャマや肌着のプリントや名入れを行うプリント業に転身した。坂口社長が米国の大学留学を終えて、専務として家業に従事するようになったころは、従業員が14人程度の規模だった。坂口社長は「仕事はシーズンによって繁忙期と閑散期が激しい。染料を扱う職場環境はくさい、きたないと課題だらけだった。従業員のみんなは一生懸命働いてくれていても、このままの経営では生活の基盤を作れない。なんとかしなければという思いだった」と当時を振り返る。

仕事の平準化で経営を改善

従業員の多能工化を進めている
従業員の多能工化を進めている

まず取り組んだのが仕事量の平準化だった。それまでは、アパレル商社の下請けとしてのプリント加工が中心で、繁忙期には残業代を払って遅くまで働いてもらい、閑散期には最低限の保証料を渡して仕事を休んでもらっていた。これだと人が定着せず、技能も向上しない。経営を安定させるためにシーズンに左右されない小口の注文をとろうと全国を飛び回った。個人店や学校の体育祭・文化祭・マラソン大会用のTシャツのプリントなど、小口の仕事はたくさんあった。しかし、一人で営業に駆け回るのは効率が悪い。そこで、こうした小口の取引先を抱えている同業者や当時台頭しはじめていたネット系のプリント受託業者に声をかけていった。同業者はライバルではあるが、仕事の繁忙期がずれることがある。うまく調整できれば、仕事の融通をしあえるようになった。また、ネット系の事業者には、プリントにまつわる「10個の提案と5つのデメリット」(坂口社長)を伝授した。事業者から「坂口さんに教えてもらったセールストークを使うと、『この営業さんは知識がある』と評価されて仕事がおもしろいほどとれました」と喜んでもらえた。お互いにとってウインーウインで仕事量も増やせた。こうした取り組みで同社は5年かけて小口の取引先の拡大と仕事の平準化を進めた。その間に大手のアパレルメーカーは次々と生産拠点を海外に移していた。昔のまま大手に依存した事業内容のままだったら、厳しい状況に直面していたであろうことは容易に想像できた。

従業員が出退勤時間を自由に設定

駄菓子屋には常に子どもたちの姿がある
駄菓子屋には常に子どもたちの姿がある

次に取り組んだのが、人材の確保だった。プリント業は3K(きつい・きたない・危険)のイメージがあり、なかなか人が定着しない。しかし、会社の周囲を見渡してみると、働きたいのに働けない人がたくさんいることが分かってきた。子育て中のシングルマザー、家族の介護で時間が自由にならない人、体力に自信のない高齢者など。そこで、パートの従業員は出退勤時間を自分の都合で自由に決められるフレックスタイム制を導入した。同時に工場を新設してエアコンを導入し、トイレもきれいにするなど職場環境の改善にも取り組んだ。4年間で5億円以上の設備投資を実施した。最初はフルタイム勤務の社員から「なんでそんなにパートを厚遇するのか」と批判の声が上がった。それに対し坂口社長は、「当社は働く人の大半がパート従業員。パートに支えてもらっている会社。そのパート従業員が働きやすい環境を作ることが、会社にとってどれだけ重要なのかを理解してほしい。そして、上に立つあなた方社員にはそれに見合う固定給を支払っている。上にいくほど責任が増えるのは当然」とじゅんじゅんと諭し、納得させていった。次第に、「坂口捺染は働きやすい職場」という評判が広まり、さまざまな人が同社に応募するようになった。また、6番目の工場を建設するのに合わせて、直接雇用ではなく委託契約という形で仕事をしてもらう形態の拠点も設けた。ダブルワークをするためにより自由な時間帯で働きたい人や障がい者にも自分のペースで働ける場を提供している。

出退勤時間を自由にするということは、その日の朝にならないと何人出勤するのか分からないということだ。それでどうやって仕事をこなしていくのだろう。同社が取り組んでいるのは、徹底した多能工化だ。パート従業員にも複数の仕事を覚えてもらい、その日の仕事に応じて人員を再配置できるようにした。「臨機応変の対応力を持つことで、100人の人が夏休みをとっても仕事を通常通りに回せるようにした」(同)。パート従業員の賃金は最初の段階は最低賃金レベルからスタートするが、仕事を覚えることで毎年賃金を引き上げていく賃金体系とした。長く働き続けるインセンティブともなっている。

コロナ禍で売上高90%ダウンの危機

子どもたちと親が一緒に遊ぶスペースを設けている
子どもたちと親が一緒に遊ぶスペースを設けている

臨機応変な就業スタイルは、コロナ禍においても発揮された。緊急事態宣言の発出でイベントがなくなったことなどで、当初、既存事業の売上高は90%減と大変な事態に陥った。坂口社長は全従業員を呼んで「3年間は仕事がなくても君たちの給料は保証するから安心してほしい。下がった売り上げを回復するために、とにかく何でもやろう」と訴えた。そして新たに手掛けたのが、感染予防の防護服やマスクの検品作業だった。先行きに不安を感じていた従業員も、仕事があることで気持ちを落ち着けることができた。ただ、坂口社長の胸中には葛藤もあった。「防護服やマスクには国の税金が使われている。それを自分たちが収入としていただくのはどうなのか」との思いが去来したのだ。そんな時、同社に仕事があることが知られると、見知らぬ人が「仕事をください」と訪ねてくるようになった。当時はコロナ禍で仕事や職を失った人がたくさんいた。坂口社長はこうした要望にも丁寧に対応し、感謝の言葉をたくさんもらった。自分たちの行動が、従業員だけでなく周りの人にもよい影響を及ぼすことができるのだということが実感できた。この経験は、自社のことだけでなく、周囲の状況に思いを巡らせることの重要さを再認識させた。

子どもたちの居場所に駄菓子屋を開店

4月に完成した新本社
4月に完成した新本社

同社は本社工場の一角に、駄菓子屋を開店させた。コロナ禍で行くところがなくなった子どもたちの居場所になればという思いからだった。子どもと一緒に窓の色を塗ることからはじめ、駄菓子屋を作り上げていった。すると、特に宣伝をしなくとも毎日100人、200人の子どもが集まるようになった。子どもたちがいると、自然とその親たちも来るようになる。親たちは工場の仕事を間近に見ることで「ここで働いてみたい」という気持ちになり、求人に応募する。そんな好循環を導き出す効果もあった。

工場の中は通路を広くとってあり、働きやすい環境を重視している。また、プリントするための台を回転させるのは重くて重労働だったので、それを改善する装置を考案し、事業再構築補助金を活用して導入するなど、生産工程の効率化も着実に進めた。2023年には古着屋を開業するなど、新しい業態にも挑戦している。現在取り組んでいるのが、カフェを併設した複合施設の建設だ。同社の周りには、高齢者施設や特別支援学校などの福祉関連の施設が多い。そこに通う人たちにカフェでくつろいでもらいたいと考えている。駄菓子屋も同じところに移し、子どもたちと触れ合う場とするなど、新しい地域のコミュニティーとなることを狙っている。また、今後はスケートボードの練習場など新しい施設の構想を練っている。自社だけでなく、地域にとってなくてはならない存在となることを目指している。

地域に頼られる存在に

これからも地域に役立つ存在であり続ける
これからも地域に役立つ存在であり続ける

同社の従業員は役員と正社員が30人、パートが80人、準社員・委託所勤務が100人という体制。今年中に260人にまで増やすことにしている。主力事業のTシャツプリントは、有名アーティストがライブ会場で販売するような付加価値の高い大口商品を手掛けている。売上高は坂口社長が会社を引き継いだ時に1億円だったのが、今では10億円を超えさらに成長を続けている。最近は事業承継の相談も寄せられるようになった。岐阜には縫製工場が多く、一時は海外の技能実習生を入れて手広く事業をしていたところもあった。しかし現在は経営者の高齢化が進み社長と妻だけが残っている。そういう会社から、事業を引き取ってもらいたいという相談が舞い込むようになった。そこで、同社が縫製現場の設備を引き取るとともに、経営者も働き続けられるように就労の場を提供することにした。アパレル業界も大量生産大量廃棄からできるだけ長く着続けられるようにと消費者の意識も変化し、リユースやリメークが求められるようになっている。同社が古着屋を始めたのもその一環だが、縫製工場の設備やノウハウを取り入れることで、より変化に柔軟に対応できる業態となることを目指している。

坂口社長は今年から地元ラジオ局でパーソナリティーを務めている。リスナーからの相談に乗ったり、ゲストとトークを繰り広げたりすることで、生きることや、働くことの意味を若者に伝えようとしている。昨年は5000発の花火を上げ、それを1万人の人が見物に来る一大イベントを成功させた。従業員も地域の人たちから「おたくの会社はすごいね」と言ってもらうことで、誇りを持って働くことができている。地域に愛され、なくてはならないと思われる会社には、働く人が集まってくることを同社は証明している。

企業データ

企業名
株式会社坂口捺染
Webサイト
設立
1953年4月
資本金
1000万円
従業員数
180名
代表者
坂口輝光 氏
所在地
岐阜県岐阜市中西郷1丁目14
事業内容
シルクスクリーンプリント、インクジェットプリント