SDGs達成に向けて
バナナの茎から生まれた紙が貧困・環境問題を解決【株式会社ワンプラネット・カフェ(東京都港区)】
2024年 1月 18日
アフリカ南部に位置するザンビア。世界三大瀑布の一つ、ビクトリアの滝があり、さまざまな野生生物が生息する自然豊かな国だが、多くの人々が深刻な貧困に苦しんでいる。東京都港区の株式会社ワンプラネット・カフェはザンビアで栽培されているバナナの茎から紙をつくり、雇用につなげる事業を展開している。SDGsに掲げられた17の目標すべてに貢献する取り組みで、関東経済産業局の「SDGsに取り組む中小企業等の先進事例」の一つに選ばれている。
警戒するバナナ農家を「信じてほしい」と説得
「『バナナの茎で紙を作りたい』と現地の農家に声を掛けたら、3世代バナナ農家をやっている農家から『そんな話は聞いたことがない』という反応だった。『だまされない』と警戒する農家を『信じてほしい』と農家を説得して回った」。ワンプラネット・カフェ代表取締役のエクベリ聡子氏は2011年にバナナペーパーづくりに取り組み始めた当時のことをこう振り返った。
舞台は、ザンビア東部サウスルアングワ国立公園のほど近くにあるエンフウェ村。村ではほぼ自生に近い状態で、有機バナナが栽培されている。バナナは成長すると数メートルにもなる大きな「草」で、1本の茎からは1度しか実が取れない。収穫すると、茎は切り落とされて廃棄されるのだが、それを目当てにゾウが村にやってくることもあり、厄介者でもあった。聡子氏と夫のペオ・エクベリ氏が茎から繊維を取り出すために悪戦苦闘していると、「何かおかしいことをやっている人がいる」と村のうわさになった。やがて何人かの農家が集まってきたそうだ。
「最初はバナナの茎から繊維の取り出す方法も分からず、バナナの茎をたたいたり、踏んだりして、数時間かけて少しだけ繊維が取れた。『たったこれだけ?』という感じだった」と聡子氏は笑顔をみせた。
それから1年後、2012年にワンプラネット・カフェを設立。10年余りが過ぎた現在は年間約5トンの繊維をザンビアで生産する。日本や英国に輸送したその繊維を元にバナナペーパーを製造。今では、さまざまな用途に利用が広がっている。現地ではバナナを有機栽培する60件の農家と契約し、バナナの茎を買い取り、農家の新たな収入源を生み出している。現地で直接雇用した25人が、茎から繊維を取り出す作業に従事している。
夏休みのザンビア旅行が大きな転機に
聡子氏は、もともと環境系のコンサルティング会社に勤務し、企業のCSR活動などをアドバイスする仕事に従事していた。夫のペオ氏も母国スウェーデンで環境ジャーナリストとして活躍。日本でも環境コンサルタントとして知られている存在だった。そんな2人が2006年の夏休みにサンビアに旅行したことが、大きな転機となった。
旅行の目的は、国立公園に生息する野生動物との出会いだったのだが、そこで村人たちの貧しい暮らしを目の当たりにした。「電気はなく、清潔な水も手に入らない。日常的な野生動物の密猟や違法な森林伐採も貧困が深く結びついていた」(聡子氏)。現地に雇用を生み出せば、密猟や伐採もなくなる。そんな思いでザンビアでの雇用創出の取り組みをスタートさせた。ポケットマネーで小さなパソコン教室を開くなど試行錯誤を重ねる中、ふとしたことからバナナの繊維から紙ができることを耳にした。
「これはいけるかもしれない」
日本で実際にバナナペーパーを取り扱っていた印刷会社を探し出し、「一緒にやってくれないか」と提案した。オーガニックでバナナを栽培する農家と提携し、トレーサビリティが明確な繊維を供給する。生産者の顔が見え、安全で安心、環境にも大きな貢献を果たす。その提案に印刷会社から「ぜひ協力したい」と積極的な回答をもらった。「その印刷会社がなければ、私たちも最初の一歩を踏み出すことができなかったと思う」と聡子氏は語る。
金の相場価格もよりも高い繊維
ザンビアには製紙工場がないため、ザンビアから日本にバナナの繊維を送る必要があった。2011年も終わりにさしかかったころ、初めて日本に送った繊維の量は、250キロほどだった。「航空便で送ったが、運賃が高くて見たくなくなるような請求書だった」と聡子氏。環境認証を受けた木質パルプとの配合の調整など試作を繰り返し、2012年秋ごろになってようやくバナナペーパーが完成した。
「紙ができたときのことを覚えているが、『やった!』というよりもぞくっとした。ザンビアも日本国内もすでにいろいろな人を巻き込んでいる。『売れないとどうなるだろう』と思った。これから徹底して売りに行かないといけない」。紙業界のことを全く知らない中でのスタート。当時の繊維の価格は金の相場価格よりも高かった。収益のことを考えると、めまいがした。
日本でバナナペーパーの取引先を模索する中、取り組みに賛同してくれる企業が少しずつ増えていった。オフィス向けの紙製品を製造するメーカーではパナナペーパーを使った商品を開発した。メッセージカードと封筒のセットで、商品名は「pamodzi(パモジ)」。エンフウェ村の現地語ニャンジャ語で「一緒に」という意味だ。
英国コスメブランドは日本の店舗で使用する包装紙やショッパー・バッグに採用した。日本での取り組みが本国にも伝わり、英国はじめ世界各国の店舗でも利用が広がる。学校用品を製造・販売する会社からはこんな話があった。中学生や高校生がバナナペーパーについて調べ、校長に「バナナペーパーで卒業したい」と直談判。卒業証書に使うことが決まった。
「量として多いのは名刺。包装紙や封筒などにもたくさん使っていただいている。ユニークなのものでは、紙ハンガーというものもある。脱プラの動きの中で注目されている」と聡子氏は語る。
協力企業のシール印刷会社から「バナナペーパーを商品化する会社を集めて協議会を作ったらどうか」というアドバイスを受けた。バナナ繊維の生産や調達、トレーサビリティ、ブランディングなどはワンプラネット・カフェが責任を持ち、協議会がバナナペーパーを商品化する。利用拡大に向けた役割分担ができるようになった。2013年1月にバナナペーパーの協議会を組織。現在31社が参加している。繊維からバナナペーパーを作り出す過程では、福井県の越前和紙の製造技術が大きな役割を果たしている。紙としては日本で初めてフェアトレード認証も受けた。
ザンビアでの雇用拡大がこれからの目標に
事業を軌道に乗せた聡子氏は、バナナペーパー事業について「将来は、現地の雇用を100人くらいの規模にしたい。次のステップとして、繊維のパルプ化をザンビアでできないかと考えている」と語る。昨年、JICA(国際協力機構)の支援を受けて基礎調査を実施。また、日本の大学との間では、バナナ繊維から生分解性プラスチックを作り出す研究も行われている。
「ペオとサトコは一体、何をやっているの?」—。現地の人から変人のようにみられていたバナナペーパーづくり。初めて紙を持っていったときは、まるでマジシャンのように扱われたそうだ。一歩一歩ではあるが、現地の雇用を生み、貧困から脱却する道筋を開いた。この事業を柱にザンビアでのシングルマザーなど社会的弱者の雇用にも力を入れ、マラリア予防のための教育や蚊帳の設置、安全な水の供給など現地の暮らしを支えている。
聡子氏とペオ氏はSDGsやサステナビリティをテーマにしたコンサルティング活動にも力を入れている。サステナビリティ活動の先進国であるスウェーデンや、バナナペーパーの故郷ザンビアでの視察ツアーを企画し、日本の企業関係者などに現地での取り組みを体感してもらっている。2023年は8回のツアー実施。大手企業などからのオファーも多く、2024年にはさらに依頼が増えるとみられている。
日本でも広がりをみせているSDGsの取り組みだが、聡子氏は「まだ様子見のところも少なくない」と指摘する。「日本は和紙のようにサステナビリティに生かせる技術がたくさんある。日本には自然と調和する知恵がある。知恵や技術をしっかりと活用することは日本の責任。ビジネスとしてのチャンスもある」と訴えている。
企業データ
- 企業名
- 株式会社ワンプラネット・カフェ
- Webサイト
- 設立
- 2012年2月
- 資本金
- 800万円
- 従業員数
- 3人
- 代表者
- エクベリ聡子 氏
- 所在地
- 東京都港区虎ノ門4丁目1-1東京ワールドゲート23階
- 事業内容
- バナナペーパーの生産と販売、サステナビリティ視察ツアー、コンサルティング、講演、フェアトレード、サステナビリティ関連商品の企画、販売。