中小企業NEWS特集記事
「高知アイス」敷居高い海外も「打たん太鼓は鳴らん」の心で
この記事の内容
- 漁師からサラリーマンに転身後、独立し「アイス」販売会社を設立
- 地元の水、農産品を原料にしたアイス開発。農商工連携の認定受ける
- 冬の需要を見込み南の国へ海外販路を開拓
高知県黒潮町で漁師の息子として生まれ育つ。小学校4年から近くの川で鰻を、冬は稚魚を捕獲して売る。自然の中で鍛えた体は、いつしか相撲で敵なしになっていたという。中学卒業時には高校相撲部からの誘いを断り漁師の道へと進んだ。
「生まれてから漁師以外を考えたことがなかった。早く親を楽にさせたいという気持ちも強くあった」と高知アイスの浜町文也代表取締役(57)は語る。ただ、鰹一本釣船に乗り遠洋へ出れば10カ月は帰れない。結婚を機に陸に上がり多角的な事業を展開する企業に就職する。
サラリーマン3年目に会社が食品事業を始めることになり浜町氏が担当となる。扱うのは乳脂肪分が少なく、あっさりとした後味の良さが特徴の「アイスクリン」の販売。アイスクリーム風のシャーベットといえる氷菓子で「県民なら誰もが知っている高知のソウルフード」だが、新事業は黒字にならず3年で撤退が決まる。
「このまま終わらせたくなかった」と会社を辞め独立。販売地盤がない浜町氏にとって仕入れたアイスクリンは、関東、関西へ出向き催事で売るしかなかった。起業当初はコストを抑えるため車内で宿泊する苦労もあったが、持ち前の明るさと負けん気で事業を軌道に乗せ、辛い時期を切り抜ける。アイスクリームの製造も学んだ。
平成に入りブームとなった四万十川の水と高知の果物を使ったシャーベットを商品化。1995年には自社工場を設置し、社名を現在の高知アイスに変更した。
地元の果物を中心とした商品を開発する実績が評価され、08年に農商工連携88選に選定された。その後、中小機構の支援などもありドリンク分野にも進出。切れのよい甘さで、さっぱりとした「ゆずドリンク」は人気商品の一つ。現在、30品目まで商品を増やし、大手EC(電子商取引)モールへも出店するなどネット販売にも力を入れている。
順調な事業拡大の一方、自社工場の稼働率の平準化が経営課題となる。氷菓子の販売は7、8月の2カ月がピークで、秋から冬にかけ工場の稼働が落ちてしまう。この課題解消策として、南の国で売ることを考えたが、海外はあまりにも敷居が高い。この時に海外展開を後押したのが「打たん太鼓は鳴らん」との母親の口癖だった。
だが、海外といっても、どこから手をつければいいのか当初は何も分からず、目についた大手Webサイト運営会社が企画する上海での海外商談会に参加した。ただ、日本企業2社、海外1社という状況で話にならず、「海外は前途多難だと思った」という。それでも次に開かれた香港での商談会に臨み、さらに高知県事務所があるシンガポールでの日本食品の展示会で好感触をつかみ、そこから海外販路が広がる。
9年前からシンガポール、マレーシア、香港へ。6年前にはハワイへ。昨年、イスラム法に則った基準をクリアしてハラル認証を取得し、ドバイで販売。今年はインドネシアへも進出する予定だ。将来は北米へも販売網を拡大させていきたいとしている。
現在の売上高は約4億円、うち海外販売は4000万円。「売上高10億円、海外1億円を目標にしている。無理な数字ではない」と言い切る。売上高が伸びることで従業員の雇用を守り、果物生産者の所得を増やすことにつながる。それが、生まれ育った高知県への恩返しにもなる、というのが浜町氏の考え方。
「多くの人に支えられ、ようやくここまで来ることができた。自分だけ儲ける発想はない。『働く=はた(を)楽』ということですから」と母親からの教えを忘れない。売上高10億円の次の目標は「息子に事業を継承して、違うことをする」のだという。打つべき太鼓は、まだ数えきれないほどあるようだ。
企業データ
- 企業名
- 有限会社高知アイス
- Webサイト
- 資本金
- 300万円
- 代表者
- 浜町文也氏
- 所在地
- 高知県吾川郡いの町下八川乙683
- Tel
- 088-850-5288
- 事業内容
- アイスクリーム製造・卸業