経営課題別に見る 中小企業グッドカンパニー事例集
「(株)向山製作所」夢の扉は自分たちで開ける!生キャラメルへの想い
向山製作所(福島県大玉村)は、1990年創業の微細はんだ付け技術に強みをもつ電子部品製造会社である。創業直後のバブル崩壊、そしてリーマンショック、東日本大震災と次々と訪れる難局の中でフード事業を立ち上げた。今では「向山製作所の生キャラメル」は海外でも高い評価を得るまでになった。なぜ、電子部品製造会社がフード事業に進出したのか。一見すると無謀な無関連多角化に見える同社の取り組みの背景を探る。
この記事のポイント
- 明確な目標と経営者の強力なリーダーシップで、新事業に挑戦
- 下請けからの脱却のため、特色のある独自製品をゼロから開発し、需要を喚起
- ストーリー性のあるブランディングで商品価値を向上し、市場へ浸透
バブル崩壊で仕事が激減し、弁当屋への事業転換も考える
向山製作所は1990年、織田金也さんが25歳で創業した電子部品製造会社である。東京の大学を卒業し、東京の証券会社のシンクタンクへの就職が内定していたが、父の「東京で成功する人間は田舎でも成功する、田舎で成功する人間は東京でも成功する」との進言で故郷に戻ることにした。
「父は自分で道を開いてきた人であったので、大企業の歯車になるのではなく、自らの力で道を開くことを求めていたのかもしれない。だから、どこだって、誰だってやることができると伝えたかったのかと思っている」と織田さんは語る。
そして、福島県安達郡大玉村の実家近くの大手音響機器メーカーの子会社に就職したが、父の進言はサラリーマンのまま過ごすことではなく独立することだと解釈し、最初から資本金を3年でためて独立することだけ決めていた。
そして3年後、勤務先の仕事をもらう形で独立。創業当時はカラオケ市場が拡大しており、カラオケ装置の部品製造で順調に業績を伸ばした。しかし、数年後のバブル崩壊で業績は一気に悪化し、始業後2時間で仕事がなくなる日が続いた。織田さんは自宅に業務用の調理設備を備えるほどの料理好きで、弁当屋に業種転換することを本気で考え、2年間調理師学校にも通った。
90年代後半に携帯電話が急激に普及し始め、微細はんだ付け技術に強い向山製作所に一気に仕事が舞い込み、危機を脱することができた。その頃、織田さんは出張の際に東京駅前の百貨店で、菓子売り場に多くの行列ができているのを目の当たりにした。「凄いなと感じ、純粋に自分もスイーツを作りたいと思いました」(織田さん)。
工場内には建設会社がプレゼントしてくれた業務用のガス台があった。ガス台と鍋だけで作ることができるチョコレートとキャラメルを思いついたが、チョコレートは専門店が多くあるのでキャラメルをやろうと考えた。
ところが従業員たちは、「歯に付くから」キャラメルは嫌いだと言う。そこで「福島の食材を使った、歯につかないキャラメル」を開発目標とした。さらに、消費者でもある従業員の意見をヒントに、素材だけではなく、消費者が体感できる差別化を開発目標とした。業績が回復したことに安住するのではなく、まったく異なる事業分野に種を蒔いたことが、後に功を奏する。
下請けから脱却するために、オリジナル製品をゼロから開発
キャラメル開発に着手した数ヵ月後にリーマンショックが起こり、再び仕事が激減した。バブル崩壊時の危機では一人も辞めなかったのに、今度の危機では辞める人も出てきた。それは、自分が明確な目標を打ち出していないせいだと気づき、すぐに従業員説明会を開いてフード事業の立ち上げと、「歯に付かない生キャラメル」の商品化を宣言した。しかし、全く異なる事業への進出宣言であり「社長バカじゃないの」との否定的な意見も当初はあったが、徐々に織田さんの熱意に従業員も共感し、社運を賭けた生キャラメルの開発が始まったのだ。そして、電子部品製造の従業員で結成した開発陣は2009年3月に基本となる6種類のレシピを完成させた。
「生キャラメルではなく電子部品を開発していたら、世界に通用するコア技術ではない限り、資本力に劣るわれわれは生き残れなかったと思います」と織田さんは語る。親会社の業績に左右されてしまう下請け脱却を目指し、立ち上げたフード事業は一見、無関連多角化にも見えるが、「どんなモノづくりにも共通項は必ずあると信じていました。お菓子を作る過程でさまざまな問題が発生しましたが、それを解決するプロセスは電子部品と同じでした」と織田さんは言う。
「製品」は売れて初めて「商品」になる
「歯に付かない」生キャラメル商品は無事完成し、まずは郡山商工会議所の紹介で郡山駅前のチャレンジショップで「向山製作所の生キャラメル」として販売を開始した。従業員たちは「向山製作所の生キャラメル」のネーミングに反対したが、織田さんはこのキャラメルを生みだした「向山製作所」を入れることにこだわった。知り合いのデザイナーに相談に行ったところ、「お客さまはこの名前を見た瞬間に、商品の背景にあるストーリーがすべて分かる。素敵な名前だ」と賛成してくれた。
「向山製作所」と「生キャラメル」のミスマッチ感がメディアの注目を集め、「福島の電子部品製造会社が、生キャラメルを作って従業員の雇用を守る」と多くのメディアで紹介され、一気に知名度が上がった。美談として報道されているが、織田さんは「生キャラメルに『全力で取り組む』ことのほかに選択肢がなかっただけ」と謙遜する。
しかし、一時のブームが去ると、東北地方の百貨店の催事に出店しても売れなくなった。電子部品の仕事が減っていたために従業員を販売員としていたところ、織田さんは隣の店の販売員に「あの子、素人さんでしょ?どんな製品もお客さまに一生懸命に売って、売れて初めて商品になるのよ」と言われた。
「図星でした。結局は下請け体質が抜けきらず、自分たちでは販売努力をしていなかったことを痛感しました」(織田さん)。「良いものを作れば自ずと売れるはず」は、中小製造業の新製品開発で陥りがちな点である。
その後、銀行が開いた商談会やマッチング会に積極的に参加した。そこに参加していた東京の百貨店のフードコーディネーターが向山製作所の生キャラメルを以前食べたことがあり、そのおいしさをバイヤーに伝えたことで、その百貨店と契約することになった。その百貨店の催事に他の百貨店のバイヤーが訪れたことが契機となり、「向山製作所の生キャラメル」の評判が広まり、東京の複数の有名百貨店との契約に成功した。
さらに、2011年に大手航空会社のファーストクラスのお菓子にも採用されることになった。3月1日に初納品した時が、「僕たちの夢の扉が開いた瞬間だった」と織田さんは振り返る。しかし、その10日後に東日本大震災が発生。2ヶ月後に工場が復旧し生キャラメルの生産を再開したが、福島第一原発の風評被害で取り扱ってもらえる百貨店はなく、ようやく販売再開にこぎつけても、購入してくれる客の大半は福島に対する同情買いであった。
また、試食品を渡した客の中には、福島産の食品を販売していることを強く責める人もいた。風評被害にあうことは国内どこでも同じと考え、商品自体を公正に評価してもらうために世界に挑戦することを決意。フランス・パリで毎年開催される菓子博「サロン・デュ・ショコラ」に参加した。これまでに食べたことがない食感のお菓子が日本から来ているとSNSや現地メディアで話題となり、大成功を収めたのである。
帰国後、「サロン・デュ・ショコラ」の主催者から感謝状が届き、そこには「来年もぜひ参加して欲しい。良い場所を用意して待っています」と書かれていたのだ。そして、次の年は会場入り口に並ぶ最も目立つ3店舗の一つが用意されていた。これで改めて自分たちの商品の価値を再認識することができた。「サロン・デュ・ショコラ」での成功が国内で話題となり、これをきっかけに百貨店での販売が再開されるようになった。売るために何をすべきかを徹底的に考え、風評被害という外部環境を自ら変える行動に移したことが大きな成果につながっている。
100年後に想いをつなぐ
「サロン・デュ・ショコラ」に2015年まで4年連続で参加し評判を逆輸入することで、国内における「向山製作所の生キャラメル」ブランドを築いた。このブランドには、「電子部品製造会社」の話題性、「東日本大震災」による逆境、「サロン・デュ・ショコラ」での成功が一連のストーリーとして織り込まれている。向山製作所の場合は、最初から狙ったブランディングではないが、“逆境”に全力で立ち向かうこと自体がストーリーを作り、結果的に効果的なブランディングに成功している。モノが売れない時代において他者と区別できるストーリーをもったブランドは消費者に共感を与え、購買行動につなげることができるのだ。
商品もキャラメルを使用したポップコーン、プリン、パンにまで拡大し、現在はフード事業が電子部品事業の売上を上回るまでに成長している。2017年末に大玉村内に新工場が完成し、2018年7月には初の郊外型店舗もオープンした。
2016年にフード事業が黒字化したことを記念し、織田さんは、「100年後の福島で、まったく同じ製造方法と形でキャラメルを売ること」を新たな事業目標を定めた。この目標を達成するために、これ以上無理に生産量を増やす考えはない。生産量を増やすために機械化すれば商品価値を下げるとの考えからである。
「これからはAIが進化し、均質で間違いが発生しない社会になるでしょう。だからこそ、この手作りの不均質さが価値になる社会が来ると思っています。」(織田さん)
企業データ
- 企業名
- 株式会社 向山製作所
- Webサイト
- 設立
- 1990年9月
- 従業員数
- 83名
- 代表者
- 織田 金也
- 所在地
- 福島県安達郡大玉村大山字西向26番地
中小企業診断士からのコメント
美談として多くのメディアで紹介されている向山製作所であるが、美談だけで事業が成功するはずはない。向山製作所はマーケティングの4P(Product:製品 何を売るのか、Price:価格 いくらで売るのか、Place:流通 どこで売るのか、Promotion:販売促進 どうやって売るのか)と商品の背景にあるストーリーをブランディングに活かす施策を打ってきた。Product(製品)だけに注力し、失敗する中小企業もあるが、まさに教科書的な施策を実行し成功している。しかし、教科書的なことを実行することは実は難しい。同社には、それを実行する経営者の強力なリーダーシップと従業員を大切にする強い想いがあったことが、真の成功要因であったと考えている。
渡邊 一弘