金型業界のエジソン

竹内宏(新興セルビック) 第2回「活路拓いた自社製品の開発力」

金型は知恵の塊 創意工夫が実を結ぶ

自社製品を持ちたいという思いが募る竹内に、金型技術で磨き上げた知恵と工夫が実を結ぶ日がついにやってきた。長年の夢を実現させたのだ。

最初の知恵と工夫の結晶が、金型を成型機から簡単に取り外せる「ホルダー」だった。試作品を取引先数社に配ってみると、予想外の反響に驚かされた。

「これは便利だ」「市販すれば必ず売れる」

関係者の薦めと好反響をバックに商品化に乗り出した。しかし、これまで手がけたことのない自社製品を世に送り出そうとすると心配が尽きない。「売れるだろうか」「不具合は生まれないだろうか」・・・等々。金型を熟知している技術者だからこその不安だが、この心配は杞憂に終わった。ユーザーからの評判はいい。金型が「開発者竹内」の生みの親・育ての親になったわけだ。

「金型というのは知恵の塊。創意工夫が重なり合って1つの完成品に仕上がる」

こう語る竹内が手がけてきた金型は、竹内の開発の才能を育む格好の教材になった。

アイデアがあっても、そのアイデアを実行するのは難しい。

「モノづくりの視点でいうと、町の金型メーカーというのは社長自身が機械操作をできないと通用しません。アイデアがあっても図面に落とし込めることができなければ、外部に発注せざるを得ない。アイデアを外注するのと自分で図面を書いて試作品を作るのでは、コスト面や秘密保持のことを考えると200倍ぐらいの差があります。そこへいくと私は機械も使え図面も書けますから、自分のアイデアや思いを翌日には形にすることができる。私にとって金型というのは、自分の消化できる範囲内にあります。金型技術に軸足を置いたウチにしかできない自社製品があれば、マーケットに対する土地勘もあるし、この強みを発揮すれば下請の悲哀を味わうこともなくなります」

こう語る竹内には、経験と実績に裏打ちされた自信を感じさせる。その後の自社製品開発に向けた動きは素早かった。

「ホルダー」で自信をつけた竹内が本格的な自社製品として「ユニット金型」を独自開発した。しかし、竹内は新興金型製作所でこの品物を売る気にはとてもなれなかった。理由は簡単だ。

「金型メーカーが独自の金型製品を作っても売れるはずがない」ということ。「職人は人の技術を否定するところから始まりますから、同じ金型屋が考えた金型システムを使わないもの」

職人だけに職人の気持ちが痛いほどわかる。

そこで自社製品を開発する子会社として1987年6月に設立したのが、現在の新興セルビックだ。2003年2月には子会社が親会社を吸収する形で新興金型製作所を吸収合併した。

アイデアの引き出しをいっぱい用意する

竹内が開発した数多い自社製品の中でも圧巻は、プラスチック射出成型機のネックとなっていたマシンサイズを解決した「超小型プラスチック射出成型機」である。これは金型空洞部までの必要な部分にだけ樹脂を使うことによって材料の無駄を省く「廃材ゼロ」を実現したものだ、これまでの常識を覆した世界に類を見ない卓上型の射出成型機だ。

この開発が評価され、2005年度の「第1回ものづくり日本大賞」の「経済産業大臣賞」を受賞。竹内自身も名刺に「ものづくり名人」の肩書が使える19人の1人に選ばれる栄誉に浴している。竹内が金型業界のエジソンと評される所以である。

今では売り上げの80%を占める自社製品開発の秘訣について、「私の開発のコツは3点から4点の製品について同時にアイデアを練るんです。複数の引き出しを用意しておいて、1つの引き出しからアイデアを引き出しておく時間はおよそ5分間。1つの製品をずっと考え込んでいても、いいアイデアが出てくるとは限りません。考えてアイデアが出てこないのは寝ているのと一緒ですから、そんな時には頭を違う方向に切り替えて、全く違うものを考えます。アイデアはひらめきですから10分考えていてもしょうがない。5分間集中したほうが頭の効率はいいわけです。5分間考えて出てこなければ、いったん引き出しに閉まって、また次の引き出しから引っ張り出して5分間考える。時々、引き出しの場所を忘れることがありますがね」と語る。

同社で開発を担当するのは竹内ただ一人。アイデアに限界があるのも当然である。だが、竹内にはこれを補う強力な知的ネットワークを備えている。(敬称略)

掲載日:2006年10月23日