中小企業応援士に聞く

「利他」の精神で社会に貢献できる会社に【株式会社ミヤジマ(滋賀県多賀町)代表取締役会長・宮嶋誠一郎氏】

中小機構は令和元年度から中小企業・小規模事業者の活躍や地域の発展に貢献する全国各地の経営者や支援機関に「中小企業応援士」を委嘱している。どんな事業に取り組んでいるのか、応援士の横顔を紹介する。

2024年 1月 29日

ミヤジマの宮嶋誠一郎会長
ミヤジマの宮嶋誠一郎会長

1.事業内容をおしえてください

高所から重量のあるハンマーを落としシャフトを鍛造する
高所から重量のあるハンマーを落としシャフトを鍛造する

建設機械や工作機械、農機、鉄道車両などさまざまな機械に使われるシャフトをアプセット鍛造という工法で製造している。シャフトというと、まっすぐな棒を思い浮かべるが、当社が得意とするのはシャフトの先端もしくは中間にツバ(フランジ)がついたシャフトだ。まっすぐな棒状のシャフトを1100~1200度の高温に加熱し、1000トン以上の大きな力をかけて成形している。

創業は1929年(昭和4年)で、祖父が鍬(くわ)や鋤(すき)などの道具をつくる鍛冶屋の仕事を始めた年にあたる。現在、会社がある滋賀県多賀町は彦根市の東隣りにある。彦根は戦前から水道などに使われるバルブが地場産業で、全国唯一のバルブ製造の集積地だった。バルブには開閉の際の軸となる弁棒というものがついていて、ツバつきのシャフトが使われている。

戦後間もないころだが、当時は、ツバつきのシャフトは太い棒から削り出して製造されていた。そこで地元のバルブメーカーから「これを鍛造で安く作れないか」と祖父に依頼があり、鍛造で弁棒を作ったのが今につながっている。

会社の設立は1956年。それから30年はほぼバルブの弁棒だけをやっていた。日本の高度成長期は相当な需要があり、羽振りもよかったそうだ。私は学校を出てすぐ大手自動車メーカーのグループ会社に就職し、その後、1989年に実家に戻った。しかし当時、経営は厳しい状況にあり、バルブ以外の販路開拓に取り組んだ。最初はうまくいかなかったが、30年かけて徐々に取引先を広げ、今ではバルブ以外の分野の受注が80%を超えている。

私は2002年、二代目の父が60歳になったのを機に39歳で社長になった。その翌年には10歳離れた弟の俊介氏に会社に加わってもらい、以降、兄弟力を合わせて経営に当たってきた。2021年から弟が社長になり、会長として経営をサポートしている。

2.強みは何でしょう

シャフトを加熱する作業
シャフトを加熱する作業

当社は「宮嶋式弁棒鍛造方式」をベースにシャフトのアプセット鍛造に特化して事業を展開しているところが強みだ。バルブの弁棒を始めたときに祖父が考え出した鍛造方式で、1954年に特許を取得した。鍛造では通常、仕事を請け負うたびに金型を作るところから始まるが、「宮嶋式弁棒鍛造方式」では、汎用の金型をたくさん用意して、それを組み合わせて鍛造する。洋服でいえば、イージーオーダーのようなやり方になる。

新たな金型をつくる時間と費用がかからないので、短納期・低コストでの加工ができる。単品から数千本単位の量産品にも対応できる。最長で3.4メートルのシャフトも製造が可能だ。全国的にもアプセット鍛造に特化したメーカーは少ないのだが、これだけ幅広いサイズやロットのシャフトをやれるところはなかなかないのではと思う。

もう一つの強みは、「ミヤジマism」という当社の企業哲学だ。2013年ごろに当時常務だった俊介社長を委員長に据え、社員9人で制作委員会を立ち上げ、約1年かけて作り上げた。制作委員会がまとめた案と、普段、自分が大切だと思って書き留めてきた項目を合わせ、私が本文を作成した。「ism(イズム)」の語呂合わせで126項目に決めた。この項目を社員全員で共有することで、明るく、楽しく、やりがいのある社風づくりに取り組んでいる。

3.課題はありますか

アプセット鍛造で製造された一本35キロもあるブルドーザーの駆動軸
アプセット鍛造で製造された一本35キロもあるブルドーザーの駆動軸

鍛造という仕事は、修理も含めて常に大きな設備投資が必要だ。その中でも実質無借金経営を目指し、さらに社員に利益を還元できる経営体制にしたいと考えている。そのためには、顧客のニーズにお応えしながら高収益を実現し、強い経営基盤をつくる必要がある。そういう経営をすることで、人材が安定し、新たな技術向上・販路開拓ができる。当社の改善のキーワードは、「安全に、楽して、たくさん良いものを」。「安全」が一番、「楽して」は作業性、「たくさん」は生産性、「良いものを」は品質を指している。収益を上げ、利益を社員に還元し、新たな人材が集まってきて成長していく。そういう好循環に持っていくことを経営の課題にしている。

当社に限った話ではないが、人材の採用にはずっと苦労をしてきた。会社の経営に携わったばかりのころ、入社の面接に来た人が会社の入口で引き返していったことがあった。それは会社の「見た目」で判断されたのだと大変ショックを受け、反省した。その当時のことは今でも忘れずに覚えている。

人材の確保は永遠のテーマだ。以前は、灰色だった制服をデニム地にしてみたり、社名をカタカナに変えたりした。「見た目」も大事だが、もっと大事なのは中身だ。中身をよくするには口先だけではだめで、しっかりと収益を上げながら「人を大切にする会社」にならなければいけない。

ある労務の専門家から、当社は非常に定着率が高い会社だという評価を受けた。先日、ある国立大学の教員で、工学博士の人材が当社に来てくれた。来春は3年ぶりに高校新卒を採用することができた。今後も人材の確保・定着に向けて、魅力ある会社にする努力を続けていきたい。

4.将来をどう展望しますか

最新のサーボプレスと産業用ロボットを導入し、省力化にも取り組んでいる
最新のサーボプレスと産業用ロボットを導入し、省力化にも取り組んでいる

一言でいえば、不易流行。一時的な社会の風潮に流されることなく、地道に今の事業を継続していく。われわれが手掛けている鍛造という仕事はものづくりの原点といえるもので、今後もなくなることはないだろう。ただ、そこに安住をせず、DXを積極的に進め、安全性や品質、技術、生産性を追求していきたい。規模を求めるのではなく、「いい会社」をつくることに専念する。

これからの世の中は「利他」をまじめに考えている会社が残っていくと思う。近江商人の経営哲学に「三方よし」というものがある。「売り手よし、買い手よし、世間よし」。売り手や買い手だけでなく、社会に貢献できてこそいいビジネスということだ。「三方よし」の考え方は今こそ求められており、それを実践できる会社を目指していく。

5.経営者として大切にしていることは何ですか

宮嶋俊介社長(左)と誠一郎会長。事務所玄関には戦艦「伊勢」の副砲と創始者である祖父が自ら作ったベルトハンマーの金床に使った砲弾の筒が飾られている
宮嶋俊介社長(左)と誠一郎会長。事務所玄関には戦艦「伊勢」の副砲と創始者である祖父が自ら作ったベルトハンマーの金床に使った砲弾の筒が飾られている

26歳でこの会社に入ったころは、まともに利益を上げて税金を払えるような会社ではなかった。ところが36歳のとき、京セラ創業者の稲盛和夫氏の経営塾「盛和塾」に入った。稲盛氏は「利益も出していない会社がどうやって社会に貢献し、社員を幸せにできるのか。5%も利益が上がらないなら社長をやめなさい」と教わった。大きな衝撃を受け、それまでの自分を反省した。それから会社のお金の出入りを見つめ、「経営とは何か」を真剣に考えるようになった。

39歳で父からバトンを引き継いだ2002年、なじみの理容店の店主からもらった年賀状が心に響いた。そこには「人を信じ、己を過信せず」と書かれていた。盛和塾での学びとともにこの年賀状の一文から「これからは、やり方を変えよう」と思い立った。そして会社の組織を見直し、基幹システムを誰もが使えるものに改造した。その後、業績が大きく伸び、リーマンショックやコロナ禍など厳しい時期もあったが、社員の協力のおかげで乗り越えることができた。2015年には後継者不在だった静岡市の同業者、東名鍛工株式会社の経営を承継し、両社で計70人近い社員と力を合わせ、尽力している。

6.応援士としての抱負は

中小機構とは、リーマンショックの経営が厳しい時期に専門家派遣制度を活用し、派遣されたコーディネーターからとても有意義なご指導をいただいた。販路開拓では、新規の取引先を探し出すための考え方、インターネットの活用法やダイレクトメールの出し方などを丁寧に教えていただき、業績回復の大きな力になった。

同業者の団体や地元の経営者が集まる勉強会などに参加しているが、若手経営者から相談を受けることがよくある。今まで自分なりにもがき苦しみ、業種を問わず多くの会社も見てきた経験から、相談を受けた会社がどんな問題を抱えているのか、会社を一度見ると大体わかるものだ。そして、押しつけにならないようアドバイスをしている。その結果、少しでもその会社がよくなってくれるとうれしい。中小企業応援士として中小機構の活用法をはじめ、これまでの経験を生かしながら経営者、後継者たちをサポートしていきたい。

企業データ

企業名
株式会社ミヤジマ
Webサイト
設立
1956年12月
代表者
宮嶋俊介 氏
所在地
滋賀県犬上郡多賀町多賀1008番地
Tel
0749-48-0571

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