「俺にもやらせろ」
今から52年前の1955年、南武がわが国最初の油圧シリンダー専門メーカーとして発足したキッカケである。会社を設立して間もなく、日刊工業新聞社から創業者の先代にパッキング・シールである「O(オー)リング」のセミナー講師の声がかかる。野村三郎にとってセミナーの講師役は初めての経験だった。
講演会場には一流企業の設計担当者が大挙して聴講に訪れている。その頃の日本の油圧シリンダーに関する技術水準は、欧米諸国に比べると相当の遅れがあったという。ところがいざ講演を始めてみると、話はわずか1分半で終ってしまった。
急遽、質疑応答に切り替えてその場を切り抜けた先代だったが、セミナーを終えると東芝機械、IHI、三菱重工などの大手各社から、「取りあえず油圧シリンダーを作ってください」といった具合に、各社から次々に注文がくるようになった。会社を設立してわずか数ヵ月後には大手企業から受注する幸運に恵まれたのである。
先代が短期間で油圧シリンダーの専門家になれたのには、技術的な下地があったからである。最初に就職した三菱重工で戦車の部品の設計をしていたこと。その後ハーレーダビッドソン(後に"陸王"となる)に転職、軍用側車付二輪車の設計・製作に従事、その後独立し野村精機を設立した。ゼロ戦の部品などを生産し中島飛行機(現在の富士重工)に納入していた経験から、機械設計、機械技術に関する知識が蓄積されていたために油圧シリンダー事業を立ち上げることができたのである。
だが、好事魔多し。1963年に横浜市の保土ヶ谷区にあった本社工場が社員の火の不始末で全焼、経営を断念する悲運に見舞われる。(敬称略)