経営支援の現場から

折箱の売り上げを7年で7倍近くに伸ばした“日本一の経営指導員”:神辺町商工会(広島県福山市)

経営環境の変化が非常に激しい中「本質的な経営課題は何か?」を見極めて解決につなげる「課題設定型」の支援が注目されている。中小・小規模事業者に寄り添い、成長に伴走する全国の支援機関は多数存在する。各機関の取り組みは全国の支援機関にとっても参考となる事例が多い。経営支援の現場における新たな挑戦をレポートする。

2024年 6月 24日

神辺町商工会の経営指導員、藤本貴史氏
神辺町商工会の経営指導員、藤本貴史氏

広島県最東部に位置する福山市で旧神辺町(かんなべちょう)エリアを所管する神辺町商工会。ここで経営指導員をつとめる藤本貴史氏は7年前に市内の事業者の伴走支援を始め、弁当などに使われる折箱の売り上げを7年間で7倍近くに伸ばすという驚異的な実績を挙げた。昨年12月の経営支援事例発表全国大会では最優秀賞を受賞。全国に約1600ある商工会の中で“日本一の経営指導員”として脚光を浴びた。

3人の経営指導員で600以上の会員を支援

600以上の会員を支援する神辺町商工会
600以上の会員を支援する神辺町商工会

1960年設立の神辺町商工会は、2006年に福山市と合併する前の旧神辺町エリアで600以上の会員の支援に当たっている。同エリアは、福山市のベッドタウンとして人口、世帯数ともに微増を続けている。こうした新しい住民の流入に伴い、古くからの繊維産業に加え、飲食業やサービス業の新規開業が目立つという。

同商工会は総勢5人、うち3人が経営指導員という体制。藤本氏は広島県商工会連合会に入り、下蒲刈商工会(2008年の合併で呉広域商工会に)、沼隈内海(ぬまくまうつみ)商工会を経て2017年4月に神辺町商工会に異動。主に創業支援と若手後継者の育成に力を入れている。

商圏の広がりにつながる支援で「ビンゴソース」の販路拡大

「ビンゴソース」は藤本氏の支援でヒット商品に
「ビンゴソース」は藤本氏の支援でヒット商品に

藤本氏が目指す支援の一つが「商圏の広がりにつながる支援」。その代表的な事例が「仕出し・弁当たかの」(福山市)の「ビンゴソース」だ。

同店は造船業が盛んな沼隈地区で地域住民や造船所の従業員向けに弁当を販売しているが、創業当初は食堂を経営。人気メニューだったサバの竜田揚げ用に特製ソースを考案し、その後、弁当にも使用するとともに、「さばったれ」という商品名で販売していた。藤本氏は沼隈内海商工会在籍時、同社の3代目となる高野憲治氏から「おばあちゃんが作ったソースをもっと売りたい」という相談を受けた。口にするとスパイスの香り高い甘口の味で、藤本氏は「これはおいしい。サバ以外にも十分使える」と可能性を感じたという。そして「弁当と異なり、調味料なら全国展開も目指せる」と商圏の広がりを念頭に支援に乗り出した。

高野氏とともに新しい商品名や容器選びなどを進め、2014年に「ビンゴソース」として販売を開始した。商品名は福山市を中心とした広島県東部を指す備後(びんご)地方から命名。さらに「いろんな料理に使ってもおいしく当たりだ、ということで、BINGOもかけている」(藤本氏)という。藤本氏の狙いは的中し、商品は今では福山市全域の学校給食で使われているほか、ECサイトを通じて全国および海外にも販路を拡大している。

このほかに藤本氏は、「自立型支援」と「3本程度の事業の柱を構築する支援」も心掛けている。自立型支援について藤本氏はこう話す。「事業者の中には『商工会は何してくれるん?』と商工会に会計や補助金申請を丸投げしてくるケースも見受けられるが、若手の経営者や後継者に対しては『自分の商売のことは自分でやりましょう』と持ち掛け、手助けしながら経営計画の作成や補助金の申請などを自分の力でできるようにしている」。また事業の3本柱はリスク回避が目的。「昨今はコロナ禍や大規模な自然災害、海外情勢の変動など不安定要因が多い。唯一の主要事業がそうした要因で打撃を受けた場合に経営が立ち行かなくなる恐れがある。そこで、たとえば地元、国内の広域商圏、海外とターゲットが異なるような事業を3本程度そろえておくことが必要だ」と話す。

多品種小ロットの強みを発信、DXで生産性向上

日野折箱店が製造するPSP折箱
日野折箱店が製造するPSP折箱

藤本氏が神辺町商工会に異動して間もない頃、日野折箱店(福山市)の日野貴文代表取締役から相談が寄せられた。折箱の生産体制強化のため持続化補助金申請についての相談だった。これに対して藤本氏は「補助金に関係なく、5年後の目指すべき会社の事業計画を作成しましょう」と提案。日野氏も「折箱部門を強化して、(当時の主要事業だった)包装資材部門のほかに、事業の柱をもう一つ作りたい」として経営課題の解決に乗り出すことに。藤本氏による伴走型支援が2017年にスタートした。

藤本氏は日野折箱店の事業内容や財務状況などを精査。そして同社の課題を(1)集客(2)受注(3)製造(4)出荷(5)自社分析-の五つに絞った。このうち集客について藤本氏は、同業他社があまり手掛けない多品種小ロット生産が可能である点とPSP(発泡スチロール)折箱の製造が可能な点など同社の強みや特徴をプレスリリースなどで発信していこうと考えた。

その一例が、東京都国立市内の飲食店からの注文を受けて製造した旧国立駅舎の弁当箱だ。左右非対称の赤い三角屋根の洋風建築という、弁当箱としては難易度が極めて高いものだったが、多品種小ロット生産を掲げる日野氏は手早く製造。「これは話題になる」とみた藤本氏がプレスリリースでメディアに発信すると、2021年に業界紙が記事を掲載した。

また、受注から製造、出荷においてはデジタル化を推進するよう提案した。「当時、受注は電話やファクス、作業指示書や出荷商品の伝票は手書き、といったようにアナログ状態だった」と藤本氏。そこから各種の補助金を活用し、受発注システムや生産管理システムなどを導入。一連のDXにより従業員を増やすことなく生産性は大幅に向上した。コロナ禍に多くの飲食店がテイクアウトやキッチンカーを始めたことで折箱の需要が高まった頃にはすでに増産体制が整っており、「急増した受注にも欠品を出すことなく対応でき、ビジネスチャンスを逃さずに済んだ」と藤本氏。こうした支援の結果、2016年に1200万円だった折箱部門の売上高は2023年に8253万円と、7年で6.8倍に急伸。会社全体の売上高も1.8倍に増加した。

「経営者になってよかった」と言ってもらえる支援を

藤本氏は経営支援事例発表全国大会で最優秀賞を受賞
藤本氏は経営支援事例発表全国大会で最優秀賞を受賞

藤本氏は、日野折箱店の支援事例をまとめたところ、経営支援事例発表の広島県代表に選ばれ、中国ブロック大会に進出した。藤本氏は2015年にもビンゴソースの支援事例で広島県代表に選ばれ、ブロック大会まで出場した経験がある。その後は提出した支援事例が高い評価を受けても発表を辞退していたという。「プレゼンテーションを行うため、その支援事例を20分の発表にまとめることが必要だが、その作業がとてもいい経験になった。この経験を一人でも多くの経営指導員にしてもらった方が、自分だけ何度も経験するより良いと思う」というのだ。

2015年に発表した後は毎年断っていたが、今回は広島県商工会職員協議会から「大変良い事例なので今回は絶対に発表してほしい」と要望があり、県大会で発表。ここでも県代表となり、2回目の中国ブロック大会に出場。そこで1位となって中国ブロック代表として全国大会出場、そして広島県代表として初の最優秀賞に輝いたのだ。「他の代表の発表はとても上手だったので、自分が最優秀賞に選ばれて本当にびっくりした」と藤本氏は振り返る。

受賞後は県知事や市長を表敬訪問したり多くのメディアに露出したりと一躍、“時の人”に。そして“日本一の経営指導員”という肩書が定着したが、本人は「日本一になったのは私個人ではなく、日野氏と進めた支援事例。支援が成功したのも日野氏の実行力によるところが大きい」と謙遜する。また今後は、日野氏のような若手後継者、さらには管内に増えている創業者の育成に引き続き取り組んでいく考えだ。「支援した人たちが10年後に『経営者になってよかった』と言ってもらえるよう支援を続けていきたい」と藤本氏は話している。

支援企業を訪問

オリジナル品で折箱の可能性を広げる 株式会社日野折箱店(広島県福山市、日野貴文代表取締役)

第二工場を整備し、さらなる増産を目指す日野折箱店の日野貴文氏
第二工場を整備し、さらなる増産を目指す日野折箱店の日野貴文氏

PSPや木製の折箱でオーダーメイドのオリジナル品などを製造販売する日野折箱店は戦後間もない1948年の創業。日野貴文代表取締役の祖父、章氏が日野商店として立ち上げた(1971年に法人化)。創業当初はアイスキャンディーの棒を生産していたが、やがて弁当や寿司の容器となる折箱を製造するようになり、さらに包装資材の卸売などを手掛けた。日野氏が父の哲雄(のりお)氏から事業を承継したのは2016年だが、代表就任前から折箱の売り上げは低迷を続けており、包装資材部門が同社の主要事業となっていた。

そんな折、隣の岡山県の業者から「折箱を売ってほしい」という電話があった。その業者とは過去に全く取引がなく、日野氏から営業活動を行ったわけでもなかった。事情を尋ねると「これまで取引していた地元の折箱業者が廃業してしまい、別の業者を探していた」とのことだった。ほかにも同様の依頼が寄せられたことから、気になった日野氏が調べてみたところ、折箱業者の廃業が全国的に進んでいたことが分かった。そうした動きを知ると「この業界には先がない」と悲観的になりがちだが、日野氏は逆に「自分たちの希少価値が増してくる」と前向きにとらえ、折箱事業を立て直すことにした。2012年以降、ものづくり補助金など各種補助金を毎年のように申請して新しい機械や販促ツールを導入していったという。

日野折箱店の知名度を上げた旧国立駅舎の弁当箱
日野折箱店の知名度を上げた旧国立駅舎の弁当箱

神辺町商工会の青年部に入部したのは2006年。会社の所在地は同商工会所管エリアではないが、実家が旧神辺町内にあり、昔からの知人らが同商工会青年部の会員だったことから入部した。そして、2017年に藤本貴史氏が同商工会に異動してくると早速、支援を依頼した。「ビンゴソースというヒット商品を生み出した藤本氏の噂は以前から耳にしていた。あのときはとにかく必死だった」と振り返る。

藤本氏からのアドバイスのもと、ホームページのリニューアルや業務のDXなどを推進したところ、折箱部門の売上高は右肩上がりで伸びていった。こうした成功の大きな要因は「何事もすぐやる、という日野氏の実行力だった」(藤本氏)という。もともと手先が器用な日野氏は、折を見ては新たに導入した機械に自分の手で改良を加え、少しでも仕事をしやすくなるよう工夫を重ねている。

とくに際立つのは日野氏のサンプル作りのセンスと速さだ。たとえば同社の知名度を上げた旧国立駅舎の弁当箱。駅舎は三角屋根の独特な外観が特徴で、折箱として製造するにはあまりにも複雑すぎた。発注者である東京都国立市内の飲食業者はすでに40社ほどに打診していたが、ことごとく断られていた。日野折箱店への相談も「どうせだめでしょう、というテンションだった」(日野氏)という。ところが「どんな相談や依頼であっても基本的に断らない」という日野氏は手際よくサンプルを作り、相手に発送。その出来栄えに満足した業者は正式に発注する運びになった。旧国立駅舎の弁当箱は話題になり、これを契機に同社には、コロナ禍で急増したテイクアウト用の折箱の注文が全国から寄せられるようになった。

「誰も作りたいとは思わないような形の折箱を日野氏は作ってみせた。旧国立駅舎の弁当箱は折箱の可能性を広げた」と藤本氏は話す。とくにPSPは、低コストで軽量、加工しやすく柄も豊富だという特徴を持つ。日野氏はこのほかにも、軽自動車販売を手掛ける知人から依頼されて軽トラの弁当箱を製造。「ハートやしゃもじの形をした折箱も手掛けたし、贈答用の鉢植え用といった、食料品以外の容器としてのサンプル作りも行った」(日野氏)と、様々なオリジナル折箱を作り出している。

藤本氏と日野氏の二人三脚の伴走支援は折箱の可能性を広げてきた
藤本氏と日野氏の二人三脚の伴走支援は折箱の可能性を広げてきた

今後の目標について日野氏は「藤本氏の支援で1億4000万円(2023年度)まで伸びた年商を、2年後には2億円にしたい」と話す。目標達成に向け、本社近くで倉庫として借りていた建物を第二工場(東深津工場)として衣替えし、最新の機械を導入した。製造スタッフもさらに増員し、いっそうの増産体制を整えた。「ぼんやりとしたイメージでもオリジナルの折箱を提案する。今までになかった形や用途であっても、お客様からの様々な要望に応えていきたい。折箱の可能性をさらに広げていきたい」と日野氏は話している。

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