中小企業とDX

「働き方改革」が事故を減らす 自社開発アプリで労働環境改善【菱木運送株式会社(千葉県匝瑳市) 】

2024年 1月 9日

菱木運送の菱木博一社長
菱木運送の菱木博一社長

運輸業界の2024年問題への懸念が広がっている。ドライバーの時間外労働時間を年960時間とする「働き方改革」が2024年4月から実施され、深刻なドライバー不足や物流の停滞が見込まれている。千葉県八街市を拠点に運送事業を展開する菱木運送株式会社は、問題が表面化する10年以上も前からITを活用したドライバーの労務管理に取り組んでいる。独自に開発した労働時間管理システム「乗務員時計」は「働き方改革」にも有効で、DXの優良事例として厚生労働省や国土交通省から高い評価を受けている。

アプリでドライバーに休憩促す

「乗務員時計」のアプリ画面
「乗務員時計」のアプリ画面

「ドライバーの労働時間の管理には、厚生労働省が定めた一定の基準がある。『改善基準告示』というもので、それを少しでも守らないと行政処分を受ける。だが、それをドライバーひとり一人に認識させ、順守させるのは並大抵のことではない。そこで10人いたら10人みなが守れるシステムづくりをしようと考えた」。菱木運送社長の菱木博一氏は「乗務員時計」を開発したきっかけをこう説明する。

「乗務員時計」は、スマートフォンに搭載するアプリで、ドライバーが改善基準告示に沿った働き方ができているかチェックし、順守に必要な時間情報をリアルタイムに提供するシステムだ。順守に対するドライバーの負担も軽減する。

例えば、改善基準告示には、トラックのドライバーは4時間走行すると30分以上運転から離れて休憩をとらなくてはならないと定められている。1回10分以上の休憩を計30分以上とる形でもいいのだが、乗務員時計はドライバーの乗務時間をカウントし、休憩時間が必要になると、ドライバーに音声などで注意を促す。一度に取らなくても、自動的に休憩した時間を積算し、取得すべき残りの休憩時間を教えてくれる。

運転に集中していると、うっかり休憩を取り忘れるようなミスも起こりがちだが、ドライバーの業務時間を管理し、改善基準告示通りに業務するようサポートする。会社も行政処分を受けるリスクを減らすことができる。

安全・安心の経営を目指して開発

菱木運送は、菱木氏の父が1971年に千葉県匝瑳(そうさ)市で創業した。以来、大手製粉グループからのペットフードの配送や、ベニヤなどの合板資材の配送などを手掛けている。関東近辺の近距離輸送を中心に大阪や岩手などの長距離輸送も行っている。

菱木氏が、このシステムの開発に取り組んだのは、社長に就任して数年が経過したころだった。2000年に先代社長の父が大病を患い急逝。30歳で経営を引き継いだ。跡を継ぐことは既定路線で、大手宅配会社に勤務して経験を積んでいたが、その当時からドライバーの労働時間の問題には強い意識を持っていたという。

「事業を承継するにあたって、自分が安心できる経営がしたいと考えていた。売り上げを伸ばしたり、規模を拡大したりするよりも先代からのお客様の信頼を裏切らない、社会的に批判されない経営をしたい。そこでネックになるのが、労働時間の問題だった」

当時からドライバーの長時間労働は当たり前で、経営する側、働く側ともに法令を順守しようという意識があまり強くなかったそうだ。改善の取り組みも遅々として進まず、重大な交通事故を招くことも少なくなかった。

関東を中心に大阪や岩手など長距離運送も担う
関東を中心に大阪や岩手など長距離運送も担う

そんな風潮の中、ドライバーの労働環境の改善に率先して取り組み始めた菱木氏。「当初は『人海戦術』で法令順守に取り組んだ」という。人手をかけて、乗務前のドライバーに毎日のように法令を守るよう呼びかけ、乗務が終わったドライバーの日報をみては違反がないかを細かくチェックをする。守れていないドライバーには直接指導をしたが、ドライバーから反発を受けることもあった。

そんな取り組みを3、4年続けていたころ、労働基準監督署の監査を受け、改善基準告示の違反を指摘された。「書類の記載ミスのほか、一部のドライバーで休息時間が数分不足しているケースがあった。確か5分もなかったと思う。ずいぶん細かいと感じた。だが、そこを守れないと、運送会社を運営できないと強く感じた」と菱木は振り返る。

ドライバーに休憩働きかける機能をデジタコに搭載

デジタコに機能を搭載した「初号機」
デジタコに機能を搭載した「初号機」

当時、自社の運行に照らし合わせて改善基準告示を守れているのかどうかを確認するシステムもなかった。手探り状態の中で順守に取り組んでいたが、マンパワーだけに頼った対策に限界を感じた菱木氏が着目したのが「デジタコ」(デジタルタコグラフ)だ。

デジタコは、ドライバーが法令通り安全な運行、適正な業務を行っているかを確認するため、車両運行時の走行時間や走行距離、走行速度など記録する装置。アナログ式からデジタル式に高度化していたが、当時はデータを記録する機能しかなかった。

「ドライバーに『数分、休みが足らないよ』とか教えられる機能がついたら、ドライバーが判断できる」。そう思いつき、デジタコのメーカーに協力を仰ぎ、開発を進めた。

しかし、改善基準告示を異業種のメーカーに理解してもらうだけでも一苦労。機能の搭載したデジタコが実用化するまで、開発から約4年もかかった。それが「乗務員時計」の初号機だ。2010年に自社が保有する約30台のすべてのトラックにデジタコを導入した。

システム導入で基準を順守、事故も激減

ドライバーたちにも改善基準告示を守る意識が生まれてきた
ドライバーたちにも改善基準告示を守る意識が生まれてきた

システムの導入に当たって、菱木氏には一つの危惧することがあったそうだ。社歴の長いベテランのドライバーが多く、導入を反対されるのではないかという点だった。「トラックで運んでいる荷物を時間通り送り先に届けるのがプロ。そんなものに縛られたくない」。責任感の強いベテラン・ドライバーほどそう考えがちだったからだ。

菱木氏は「休息時間の警告が出たら車を止めて、しっかりと決められた休息を取ってもらっていい。それで延着してお客様からクレームがあったときは会社がすべての責任を持つ」とドライバーたちに呼びかけた。その効果もあり、導入は思いの外スムーズだった。「無理をしなくても、結果的に仕事はこなせる。ドライバーにも気づきが生まれ、浸透したのではないか」と菱木氏は話す。

運転席横にあるのは、「乗務員時計」の前身となった「運転時計」。
運転席横にあるのは、「乗務員時計」の前身となった「運転時計」。

システム導入による改善基準告示の順守は経営に大きなメリットをもたらしている。事故の大幅な減少だ。システムの導入前には、月1度は事故が起きていたという。だが、導入後に事故は減少。今ではほとんど事故を起こさなくなった。「任意の保険は最大の割引率になっている。もうそれが5年くらい続いている」と胸を張った。

「正直、改善基準告示なんて何の意味があるのかと思っていたところがあった。だが、実際に守れる環境を作ってみると、改善基準告示はドライバーが集中して運転できる限度を定めているのだと気づかされた」

自社のトラックに搭載した初号機は改良と進化が進み、「2号機」には大型の液晶画面を搭載。ドライバーの操作性や視認性を高めたほか、機能も拡充された。「運転時計」という商品名で販売され、法令の順守に高い意識を持つ同業他社も利用できるようになった。

菱木運送が導入している点呼支援ロボット。「乗務員時計」とも連動している
菱木運送が導入している点呼支援ロボット。「乗務員時計」とも連動している

そして、「もっと多くの運送会社が利用できるように」と2018年に開発したのが、スマートフォン用のアプリケーションソフト「乗務員時計」だ。

デジタコ版の開発が業界の大きな注目を集め、菱木氏のもとには講演の依頼が増えるようになった。ある講演先で「『確かにいいシステムだが、デジタコを買い替えるのは大変』。もっと機能をリーズナブルにできないか」と業界関係者からアドバイスを受けたことがアプリ開発につながった。

データはクラウド上で管理される。当初は出庫・帰庫だけの情報だったが、出勤から退勤までドライバーの労務管理ができるようになった。アルコールチェックや点呼などとも連動し、安全な運行を確保するためのドライバーの労務全体を見守れるようになっている。アプリ化によって「ぜひ導入したい」という運送会社からの引き合いが増えた。

「待機時間」解消にもチャレンジ

千葉県八街市にある菱木運送八街営業所。事業の拠点となっている
千葉県八街市にある菱木運送八街営業所。事業の拠点となっている

ドライバーの労働環境の改善に向けて、菱木氏が次のテーマとして取り組んでいるのが、乗務員時計のシステムを生かした「待機時間」の解消だ。

運送の業務では、発送側の「発荷主」から荷物を引き受け、受け取り側の「着荷主」に引き渡す。その間のトラックへの荷積み、荷降ろしの作業になかなか入れず、トラックが待機する時間が発生してしまう。菱木氏によると、長ければ、3~4時間も待機することが少なくないそうで、「『待機』がなくなれば、通常の8時間程度の就業時間を実現することが可能になる」と指摘する。

菱木氏は、「乗務員時計」に記録された待機時間のデータを荷主側と共有し、サプライチェーン全体で待機時間を削減できるような仕組みの構築を目指している。

待機時間は荷主、運送会社、それぞれの都合で発生する。トラックが現場に来る指定時間を設定し、それより早い時間は運送会社の責任、遅い場合は荷主側の責任という形で切り分け、荷主側の都合で発生する待機時間を「見える化」する。そのデータをAIで分析するなどして、待機時間が多く発生する曜日や時間帯に荷主側に作業員を増やすなどの対策を取ってもらうというものだ。

待機時間の問題は荷主を含むサプライチェーン全体での対応が求められる。運送会社が持つデータを荷主側と連携して活用することで、問題意識を共有し、問題の解決を図る。「運送会社にとって、荷主は大事なお客様。こちらから強く言えば、カドが立つ。『パートナーシップ』というところからコミュニケーションをうまくとりながら進めていきたい」と菱木氏は話していた。

運送業界の「働き方改革」に対しては、「2024年問題」で取り上げられるようなネガティブな課題が根強く残る。しかし、菱木氏のように積極的にDXに取り組むことによって課題解決につながる期待は大きい。ドライバーの労働環境が改善されることで、若い人材が安心して仕事として選択する土台をつくることも可能だ。

「運送の仕事は自分の空間で仕事ができ、人間関係にわずらうことも少ない。そういう仕事が向いている人もいる。他業種と同じ労働条件に持っていければ、逆にドライバーの方がいいという形にもなりうる」と、「働き方改革」を前向きにとらえることの大切さを菱木氏は説いている。

企業データ

企業名
菱木運送株式会社
Webサイト
設立
1971年1月
資本金
2000万円
従業員数
43人
代表者
菱木博一 氏
所在地
本社・千葉県匝瑳市小高208
八街営業所・千葉県八街市八街い27-3
Tel
043-443-5250(代)
事業内容
一般貨物自動車運送事業、貨物運送取扱業、倉庫業など