お客様が使ってくれてこそモノづくり
刀原精(アルプスエンジニアリング) 第4回「人材開発作戦」
肝に銘じた自助努力
ある大手電機メーカー系列の超硬工具会社と合弁会社を設立した1992年のことである。資本金8千万円のうちアルプスエンジニアリングが5千万円を出資し、10億円を投じてツーリングの自動化装置を生産する工場を建設したまでは良かったが、その直後にバブルが崩壊し、会社は毎月2千万円ずつ赤字を計上する始末。
結局、会社は一度も黒字になることもなく精算に追い込まれる。アルプスエンジニアリングが工場の設備を引き取ったものの、最終的に約4億円の債務を背負うことになってしまった。以来、同社は債務返済を終えるまでに10年の歳月を要したのである。
「やはり自助努力しかない」
こう肝に銘じた刀原は、社員の先頭に立って研究開発に傾注する。幸いなことに、社長を頂点とした研究開発体制に経営の舵を切ったことが、再び会社の隆盛を呼び戻す端緒となった。
「モノづくりは社長業よりずっと楽。今、私の一番の役割は、仕事を貰って、ニーズを貰って、それをどう事業化するか考えること。そして、世の中の流れをしっかりと見ていくことです」−モノづくりの権化のような刀原は、こう言って憚らない。
国内回帰を先取りした経営判断
浜松は全国的に知られたモノづくりの一大集積地だ。しかもホンダ、スズキ、ヤマハといった自動車産業がいぜん活況に沸いている。これを裏返して見れば、人材獲得競争が熾烈を極めていることが察せられる。当然、人件費も上昇の一途という。
「今の浜松では簡単に人は集まりません」
かといって、アルプスエンジニアリングが生産拠点を海外に求めるのはむずかしい。
「例えば中国へ出て行くにしても、現地の技術水準ではウチのような精密な製品は作れないんです」
技術者の中でも設計部門の人材集めに手を焼いていた同社は2005年11月、縁あって鹿児島県霧島市の久留味川工業団地に機械加工部品の製作会社、アルプスエステックを設立した。土地代の30%の助成と国・県・市から3年間で6千万円の税制優遇を受ける好条件に恵まれた。ただ、刀原がこの地に進出を決めたのは、誘致条件の良さだけではなかった。
「人件費は決して安くありません。鹿児島で設計技術者を育てれば、浜松の人材補充にもなります」
今では常時、5名以上の設計技術者が鹿児島から浜松に来て研修を受けているという。
同社が設計と開発は浜松、加工は鹿児島という国内生産体制に整備したのは、ある意味で最近の設備投資の"国内回帰"を先取りした経営判断の良さが窺える。
刀原は経営の神髄についてこう語っている。
「会社というのはある程度、独裁的に経営しないと伸びないものです」
それでも刀原を慕って人が集まってくるのはなぜか。
中小機構の新連携推進事務局でアルプスエンジニアリングを担当する課長補佐の富沢裕之は、「アルプスエンジニアリングは優秀な幹部が多く、非常にまとまりのある会社ですね。銀行の評価も高まっています」と、全幅の信頼を置く。
「人間はその人を信頼すれば、相手も信頼してくれるものです」
「利益率の高い会社にすること、事業を継承する人材を育てること」を今後の経営課題に掲げる刀原の願いが実現するのも夢ではない。
そして、数々の研究開発案件が花を咲かせ実を結ぶのもそう遠い話ではなさそうだ。(敬称略)
掲載日:2007年1月5日