始まりは大阪万博だった
大阪万博をきっかけに認知が広がった「Xスタンパー」【シヤチハタ株式会社(愛知県名古屋市)】
2023年 8月 7日
「人類の進歩と調和」をテーマとして1970年に開催された大阪万博。岡本太郎氏が手掛けた太陽の塔をはじめ、大阪府吹田市の会場内には国内大手企業や諸外国のテーマ館、パビリオンが立ち並び、動く歩道や電気自動車、人間洗濯機など、当時の最先端技術を駆使した製品・サービスがお目見えした。そして万博を機に世の中に普及し、21世紀の今も人々の生活に役立っているものも多い。その一つがシヤチハタのインク浸透スタンプ「Xスタンパー」だ。多くのパビリオンに設置されると、スタンプ台が要らないという便利さが受け、一躍話題となった。同じく朱肉の要らない同社のネーム印「シヤチハタ ネーム」も人気に。今でも朱肉不要のハンコの代名詞といえる同社のヒット商品。その始まりは大阪万博だったのだ。
危機感から「X(未知なるもの)」への挑戦
同社は1925年舟橋商会として名古屋市で創業。インクを補充せずに連続して使用できる「万年スタンプ台」を開発・発売した。1929年頃には、日の丸の旗の中に名古屋のシンボルである「名古屋城の金のしゃちほこ」を収めたマークが誕生。これがブランド名「シヤチハタ」の由来だ。1941年に改組してシヤチハタ工業株式会社を設立。その後、1999年に販売会社のシヤチハタ商事と合併し、現社名となった。
Xスタンパーは1965年に発売された。その10年以上も前、スタンプ台の必要のないスタンプという画期的な商品のアイデアの開発に取りかかったのだ。完成すれば当時の看板商品であるスタンプ台を否定することになるのだが、「当社は常に、今の売れ筋商品が使われなくなったらという危機感を抱き、次なる商品の考案・開発を続けている。Xスタンパーも、スタンプ台だけでは企業として生き残っていくことが難しいとの危機感から生まれた」と同社広報室の向井博文室長は話す。
その開発は難航した。そもそもゴムは長靴などのように水を通さないことが利点であるが、Xスタンパーはゴムの中をインクが通るようにする必要がある。商品名にある「X」は「未知なるもの」を意味しているが、開発自体が未知への挑戦だったのだ。試行錯誤の末に完成したスタンプの構造は、インクを含ませたスポンジ状にナッタゴムを内部に組み込み、スタンプを押すとゴムにあいた無数の細かい孔を通過して表面にたどり着くというもの。また、ボールペンのインクをヒントにして、内部にあるときは乾いたり固まったりせず、押すとすぐに乾く染料系のインクも開発した。そしてXスタンパー発売から3年後の1968年には、同様の技術を活用したシヤチハタ ネームが登場した。
この斬新な商品は、残念ながら最初は期待していたほどには売れなかった。とくにシヤチハタ ネームに対しては、印鑑を扱う一部の業者から「ハンコが売れなくなる」と反発もあったそうだ。そこで当時の担当者たちは粘り強く説明をして納得してもらったという。
スタンプ台不要のスタンプは多くのパビリオンで大好評
苦労の末に開発・商品化したXスタンパーの認知度を上げようと、同社は1970年3月から約半年間にわたって開催された大阪万博への出展を決めた。舟橋正剛社長は「出展の目的は一人でも多くの方にXスタンパーを実際に使ってもらい、便利さを感じていただくこと。当時、年商20億円に満たない企業にとって万博に出展するということは大きな決断だったと思う。大阪万博が開催された1970 年は創業45 年の節目であり、参加することで社員の士気高揚が期待できること、また、開発現場にも弾みが出るのではとの期待から決断したと聞いている」とコメントする。
同社を含め28社による生活産業館に出展するとともに、他のパビリオンにも記念スタンプとしてXスタンパーを設置してもらった。会期中、来場者の間では専用スタンプ帳にスタンプを集めて回ることが人気となったが、Xスタンパーはいちいちスタンプ台でインクをつける手間が省け、2色や3色の記念スタンプが押せるとあって大好評だった。開催途中から同社に設置を依頼するケースもあり、最終的には約40カ所のパビリオンに設置されたという。
これを機にXスタンパーの認知度は急上昇。「認知の拡大だけでなく、社員のモチベーションを高める意味でも出展はとても良い判断だったのではと感じている」とコメントする舟橋社長も会場を訪れた。当時はまだ幼少だったが、祖父・高次氏が社長をつとめる会社が出展していたことは理解しており、「万博会場に入場したときはとても興奮したことを記憶している」という。
Xスタンパーはビジネス用だけでなく、観光地などの記念スタンプ用にも需要が拡大。Xスタンパーの売り上げは2倍、3倍と増加していった。これに合わせて、朱肉不要のシヤチハタ ネームも普及していった。広く使用されるようになると、クレームが寄せられることもあった。「印影がにじんでくる」「何年も経過するとインクが薄れてしまう」といったものだ。そのような顧客の声に対して同社は、問題をひとつひとつ解決し、商品の品質を向上させていった。
インク補充で「毎日、何度も使われた」と実感
大阪万博に続き、同社は1985年のつくば科学万博、さらに地元開催である2005年の愛知万博にも出展。Xスタンパーも記念スタンプ用に多くのパビリオンに設置された。とくに愛知万博では、大阪万博と同様、日が経つにつれてXスタンパーの評判が広がり、開幕当初は50館ほどだった設置パビリオンが最終的には130館以上に増加。会期中に3度インク補充を担当した向井室長は「1度目は会場内を眺める余裕があったが、最後はスタンプの設置数も大幅に増加し、さらにありがたいことにスタンプも大変人気となったおかげで補充作業を終えるのに精いっぱいだった」と振り返る。
また補充の際にはこんな想いも感じた。社員が交代で毎日インクを補充しているにもかかわらず、翌日には明らかに薄くなっているスタンプがあったという。「1000回、2000回はインクが薄くなったり、かすれたりすることなく、問題なく使用できるはず。各パビリオンで毎日、何千回もXスタンパーが使われたのだな、と実感した」と向井室長。万博という一大イベントでXスタンパーは多くの人が手に取り、その便利さを体験した証しである。
なお、2025年の大阪・関西万博への関わりについては現時点では白紙とのこと。今後は何か話があれば検討していく可能性はあるようだ。
安住することなく次なるものを探し続ける
コロナ禍で同社は強い逆風を受けた。緊急事態宣言で不要不急の外出が自粛されている中で、ハンコを押すためだけに出社するケースが目立ち、テレワークの普及を妨げるなどとして、各方面から日本特有の“ハンコ文化”が疑問視されたのだ。2020年9月のデジタル改革関係閣僚会議では、河野太郎行政改革担当相(当時)が「ハンコをすぐになくしたい」と発言し、行政手続きにおける押印の見直しが行われた。これを機に“脱ハンコ”の流れが加速し、全国各地の自治体でも押印の廃止や手続きのデジタル化が推進されることにとなった。Xスタンパーやシヤチハタ ネームなど浸透印タイプの印章は、公文書で使用されることは少ないが、社内での確認印や宅配便の受取印がサインに取って代わるようになり、同社にとっても影響は少なくなかった。
その一方で、脚光を浴びた商品もあった。そのひとつがパソコン上で簡単に捺印できるシステム「パソコン決裁クラウド(現・シヤチハタクラウド)」だ。出社せず、テレワークでも使用できるもので、“脱ハンコ”の逆風を追い風に変えた形だ。発売は1995年にまでさかのぼる。また子どもが楽しみながら手洗いの練習ができる「手洗い練習スタンプ おててポン」は、手のひらにスタンプした印影が消えるまでしっかり手を洗おうというものだが、コロナ感染防止に役立つとして注目された。押したスタンプが消えてはいけない同社にとって、消えることを前提とした“逆転の発想”の商品で、名古屋芸術大学(愛知県北名古屋市)との産学連携で出されたアイデアをもとに開発。2016年に発売していた。
このように、いずれも前々から発売していた商品がコロナ禍を機に売れ行きを伸ばした。発売当初は苦戦したが、大阪万博を機にヒットしたXスタンパーと相通じる。さらに、それら商品開発の背景には企業としての危機感があることも共通している。半世紀余り前の大阪万博を機にヒット商品を生みだした同社は、決して安住することなく、常に危機感を抱いて次なるものを探し続けている。
企業データ
- 企業名
- シヤチハタ株式会社
- Webサイト
- 設立
- 1941年9月
- 資本金
- 1億円
- 従業員数
- 356人(2022年6月末現在)
- 代表者
- 舟橋正剛 氏
- 所在地
- 愛知県名古屋市西区天塚町4-69
- Tel
- 052-521-3635
- 事業内容
- 印章関連・スタンプ・文房具等の製造販売、IT関連事業、産業用途品など