冷凍ピザから年商200億円の総合食品会社築く
大河原愛子(ジェーシー・コムサ) 第1回「日系3世のチャレンジ精神」
米国流教育が育んだ独創的発想力
グループ全体で年商200億円を誇る冷凍ピザなどの食品製造・販売および外食産業の「ジェーシー・コムサ」会長の大河原愛子は、ハワイ州ホノルル市生まれの日系3世である。日本で数々の女性経営者賞などの栄誉に浴した米国籍の女性実業家、大河原の実像を知るには、その生い立ちをひも解くのが近道のようだ。
米国の教育は大河原の人間形成にどのような影響を与えたのだろうか。大河原は学生時代を振り返ってこう話している。
「よく言われますように欧米の学校教育は、個人の個性を伸ばすことを第1の目標に掲げているわけですね。例えば、1つの質問、1つの課題に対して1つしか答えがあるわけではなく、いくつかの正しい答えがあるように、個人個人によって考え方が違うわけです。そういう考え方がとても重視されていましたね。
今は日本も変わってまいりましたが、私が最初に来日しましたときにはだいたい皆さん、金太郎飴のように共通のバックグランドで共通の教育を受けておりましたから同じ答えが出てくるわけです。私の場合、1つの課題について常に違う視点から見て、それから結論を出す欧米の教育を受けていたわけです」
発想の違いの成功事例として大河原には、大都会の工場の地方移転ブームに先鞭をつけたエピソードがある。
「1970年代の高度成長時代、都内にあった工場が極端な人手不足に陥ったんですね。いくら賃金を上げても、いくら募集のチラシを配っても人が集まらない。大企業がそれを上回る資金力で人材をかき集めてしまうわけです。ですから、大企業と競争しても勝ち目はないと思いまして、当時としては珍しかったのですが、都内から脱出して思い切って九州の田んぼの真ん中に工場を建設したんです。地元では大歓迎を受けました。
中小企業は大企業のヒト・モノ・カネに勝てないんです。唯一、中小企業が勝てるのは発想の違いと発想の豊かさそしてフレキシブルに動くことです」
天性の負けじ魂
大河原が学生時代を過ごした当時の米国には、今日と異なり学業の世界にも有形無形の差別が存在した。15歳までハワイで生活した後、1年間、日本のアメリカンスクールで日本語を学んだ大河原はノースウエスタン大学に入学、ここぞとばかりに学内の古臭い差別的な制度に立ち向かっていく。その姿は大河原のもって生まれたリーダーの素質の片鱗を見せるまたとない機会となった。事の顛末は次のようなものだった。
大河原が大学に入学して初めて体験したことがある。
「大学はクラブ活動が盛んでして、キャンパスの中に家がありましてクラブのメンバーが一緒に暮らすこともできるんです。クラブは女性用と男性用がそれぞれ十いくつありました。私もクラブに入りたくてぜひ入れて欲しいと繰り返しトライしたのですが、最終的には断られました。当時、クラブのルールとして東洋人はメンバーになれなかったんですね」
負けず嫌いの大河原がそのまま引き下がるはずもなかった。
「とても悔しくて、何とかこういうしきたりを変えなくてはいけないと思いました。そこで、大学での政治活動に目を向けました。学年単位(2,000人規模)の生徒会の副会長選に立候補し、当選しました。その時に会長候補としてパートナーを組み、一緒に選挙戦を戦った男子学生は後に有名な政治家になりました」
大河原の言う著名な政治家とは25年ほど前、日米貿易摩擦で対日強硬派として勇名をはせ、大統領候補にもなったディック・ゲッパード民主党下院院内総務のこと。
米国での貴重な大学生活を体験した大河原だったが、大河原の学問に対するチャレンジ精神はこれで終わることはなかった。スイスのジュネーブ大学法学部への留学に舵が切られていく。しかも、フランス語で授業を受けラテン語でローマ法を学んだ。
「最初は経済学部の予定だったのですが、ジュネーブ大学で一番レベルの高い学部は法学部だと知って、『よし、チャレンジしよう』という気になったんです。しかし、先生からは『法学部はフランス人やスイス人でさえ入学するのが難しく、入学しても挫折する学生の多い学部です。ましてフランス語が完璧ではない貴方には無理です』と忠告されたんです。無理と言われると負けじ魂に火のつく性分ですので、周囲の反対を押し切って法学部に入り、国際法を学びました」
そこまで苦労を重ねて学んだ法律だが、大学を卒業して両親の待つ日本で生活することになり、大河原はあっさりと弁護士の夢をかなぐり捨ててしまう。事業家なる夢が次なるチャレンジ目標として大河原の心を射止めたのである。(敬称略)
■ プロフィール
大河原 愛子(おおかわら あいこ)
1941年、米国ハワイ州ホノルル生まれ。
ホノルルの中学校を卒業後、1年間東京のアメリカンスクールで日本語を勉強。
米国に戻りノースウエスタン大学を卒業後、スイスのジュネーブ大学法律学部に留学し国際弁護士資格を取得。1964年に卒業とともに来日。父親が創設したピザの輸入販売会社に入り実質的な経営者として日本のピザ市場のパイオニアとなる。
1991年にニュービジネス協議会の女性起業家大賞、1992年に日刊工業新聞社の婦人経営者賞、1998年に世界女性起業家賞などを受賞。
■ 会社概要
社名 |
(株)ジェーシー・コムサ |
設立 |
1964年11月19日 |
代表者 |
大河原 愛子 |
事業内容 |
ピザを主力とする食料品の製造・販売、外食産業、その他 |
資本金 |
8億2,381万円(2007年6月28日現在) |
売上高 |
19,806百万円(2007年3月期、連結) |
従業員数 |
合計824名(社員216名・パートナー608名、2007年6月28日現在) |
本社 |
東京都渋谷区恵比寿南1-15-1 JT恵比寿南ビル |
掲載日:2007年7月10日