Be a Great Small

産地の危機回避へ サブスクで販路開拓に挑戦「清峰堂株式会社」

2024年 10月 21日

清水則徳社長
清水則徳社長

「九谷焼」は石川県の能美市をはじめとする金沢市以南で生産される国指定の伝統工芸品。五彩と言われる鮮やかな色使いが特徴だ。ただ、人々の生活スタイルの変化で高額な置物や花瓶の需要は減少し、担い手不足も相まって産地の規模は縮小傾向にある。清峰堂株式会社は九谷焼をサブスクリプションで提供する新たな販売スタイルで、産地の苦境に対抗しようとしている。事業の準備を進めていた1月に能登半島地震が襲い、工場にあった仕掛品が割れるなどの被害を受けた。それでも6月にはショールームを開設し事業化にこぎつけた。

ギフト市場の隆盛と衰退

清峰堂本社
清峰堂本社

清峰堂は1964年に現社長の清水則徳氏の父が創業した。当時は産地の商品を仕入れて販売する卸売業が主力だった。ギフト市場を積極的に開拓し、大きな花瓶や陶器の獅子の置物や絵皿などの高額品を大手百貨店や高級品を扱う小売店などに卸していた。経済成長の波に乗って事業は順調だった。「バブル期には、産地の人間国宝の作家作品がそれこそ飛ぶように売れた。倉庫に山積みになった商品を毎日トラックが運んでいく。何百万円もする作品が毎日売れるなんて異常だ、こんなの続くわけがない」。清水社長は父を手伝いながらも、当時のすさまじい売れ方に危惧を抱いていた。不安は的中した。バブル崩壊で高額商品の売れ行きは急減した。さらに、人々のライフスタイルの変化で、床の間や畳の部屋を持たない家が増え、新築祝いに花瓶や絵皿を贈るといった陶磁器のギフト市場そのものが縮小した。

江戸硝子との融合「九谷和グラス」

九谷焼と江戸硝子を合わせた「九谷和グラス」
九谷焼と江戸硝子を合わせた「九谷和グラス」

「何か新しい商材が必要だ」。清水社長は思案の日々を送っていた。そんなある時、東京のトロフィーや楯を扱う企業から「グラスと九谷焼を組み合わせた楯を作ってほしい」という依頼が舞い込んだ。そんなに難しいとも考えずに、ボンドで張り合わせた楯を作り、納品した。ところが、3か月後に「とれたぞ。どうしてくれるんだ」というクレームが寄せられた。その時初めて磁器と異素材を接合させることは難しいのだということに気づいた。工業用のボンドではだめだ。では何でくっつけたらいいのか。清水社長は石川県工業試験場に相談に行ったり、大学の研究室の先生に教えを乞うたりと研究を重ねた。新たな接合手法を考案し、これならというものに仕上げるのに3年の月日がかかった。

ちょうどそのころ、「飲物の色が見える九谷焼ができないか」という提案が寄せられていた。台座に色鮮やかな九谷焼を配し、グラス部分は江戸硝子という全く新しい商品「九谷和グラス」が誕生した。しかし、最初は全く売れなかった。展示会に出品するとバイヤーから苦い顔で見られた。当時他の産地でも陶磁器と金属やガラスを組み合わせた商品が販売されていたが、必ずといって接合部がとれてしまうクレームが発生していた。バイヤーにとって、異素材を組み合わせた商品はこりごりだという悪いイメージが定着していた。清水社長は「うちの商品は大丈夫です」と言っても取り合ってもらえない。転機となったのが、グッドデザイン賞の受賞だった。2006年の「グッドデザイン賞新領域デザイン部門」を受賞し、世の中に九谷和グラスが知られるようになると、見た目の美しさとともに、接合部がとれにくいという技術面での優位性も理解されるようになった。今では、ワインにも日本酒にもマッチするグラスとして、同社の主力商品となっている。

卸売りからメーカーへ転身

窯を設置し、自社で製作する体制を整えた
窯を設置し、自社で製作する体制を整えた

同社は自社で窯を持ち、卸売業からメーカーへと事業を転換させていった。九谷焼の産地は素地を造る窯元、絵付けをする上絵、商品を企画し販売する卸売と分業体制が確立されていた。しかし、産地の力が細る中で、同社が期待するだけの生産を担える窯元が減っていた。ただ、新規に窯を設けることは、産地から反発の声も上がった。生地を提供してもらえないなどの苦難もあり、一時は窯を閉鎖したこともあったが、2010年代になって再開した。伝統的な九谷焼とは異なる商品は、産地から批判されることもあった。九谷和グラスは「まがい物」と言われたこともあったという。しかし清水社長は「みんなが同じことをして、価格競争をしているようでは産地に未来はない」と、独自の道を進むことに迷いはなかった。同社の取り組みは産地の新しい生き方として評価され、経済産業省の「元気なモノ作り中小企業300社」にも選定された。

サブスク型ビジネスへの挑戦

サブスク型レンタルで提供する作品
サブスク型レンタルで提供する作品

同社は2024年に九谷焼のサブスクリプション型レンタルビジネスを始めた。月額1万円から10万円まで、4つのコースを用意し、毎月新しい九谷焼の作品をレンタルするというものだ。飲食店やホテル、企業を顧客とし空間を飾るものとして提供する。九谷焼の銘品と言われるものが倉庫にたくさん眠っている。これを何とか活用したいという思いで始めた。「高額品が売れない時代が続くと、九谷焼の伝統技法を持つ職人も途絶えてしまう」という危機感もあった。事業化にあたって、全国の伝統産業のプロモーションを手掛ける株式会社CULTURE GENERATION JAPAN(東京都中央区)のサブスクサービス「CRAFTAL」のインフラを利用することにした。清水社長は「価格をどうやって決めるか、破損に備えた保険のかけ方など、一から考えないといけないことがたくさんあり大変だが挑戦する意義はある」と考えている。

サブスク型ビジネスに合わせて、本社にショールームや絵付けを体験できるスペースを設けた「ギャラリー陶創館」を新設した。1階は九谷和グラスなどの展示販売、2階はサブスクサービスで提供する作品のショールームとした。事業再構築補助金に採択されたことで資金も賄うことができた。2024年春の開設を目指して準備を進めていた矢先、1月の能登半島地震に見舞われた。幸い高額な作品はまだ展示していなかったため大きな被害は免れたが、工場にあった上絵付の素地に被害が生じた。清水社長はこの経験から、ショールームの地震対策を見直し、棚に倒壊を防止する措置を施し、個々の作品も固定する対応をとることにした。「事業再構築補助金は建設費用で使い果たしていたが、震災枠で追加の補助金をもらえたので実行できた」という。

「ジャパンクタニ」の再興を目指して

九谷焼を次の世代に引き継ぐために
九谷焼を次の世代に引き継ぐために

九谷焼は明治時代に日本が鎖国を解き、海外と交易をするようになったころに、欧米向けの輸出商品として大変な人気だった。「ジャパンクタニ」の名称で収集家がこぞって買い集めたという。清水社長は産地の組合の役員を務めている。組合の事業として九谷焼の技術継承にも取り組んでいる。九谷焼の技術は窯元や絵付師の家ごとに一子相伝として伝えられてきた。しかし、九谷焼を家業として受け継ぐ家が減少していくと技術が途絶えることにもなる。そこで、作家や職人同士が技術を教えあったり、映像として残したりすることに取り組んでいる。「我々は370年の九谷焼の歴史の一端にいる。それを次の世代にバトンタッチできる様にしていかなければならない」。サブスクビジネスも、個人向けには需要が少なくなった作家作品に、脚光が当たる新しい場を提供したいという思いからだ。ジャパンクタニが国内外に再評価される時が到来することを願い、産地に新しい風を吹き込もうとしている。

企業データ

企業名
清峰堂株式会社
Webサイト
設立
1975年7月(創業は1964年7月)
資本金
1000万円
代表者
清水則徳 氏
所在地
石川県能美市新保町ヲ48
Tel
0761-57-2133
事業内容
九谷焼・九谷和グラスの製造販売、九谷焼・九谷和グラスのレンタル及びリース事業、九谷焼・九谷和グラスの広報に関する事業