——中山さんは定年後、前職とはまったく関係のない大工の仕事を始められたのですね。
僕が5歳のとき外国航路の船に乗っていた父が戦死し、母が4人の子どもを育てました。余裕がなく欲しい模型の玩具を買ってもらえないので、父の遺した大工道具で子どもの頃から自分で工夫して作るようになりました。中学生ぐらいになると母に頼まれて小さな塀を作ったり米びつを作ったり。でも生命保険会社に在職中は忙しくてほとんど何もできませんでした。
——それが退職を機に興味がわいたということですか。
たまたまCS神戸(コミュニティ・サポートセンター神戸。いわゆる中間支援組織と呼ばれるNPO法人)で開催されたセミナーに参加したところ、講師が「定年後は今までの延長線上ではなく自分が本当に好きなものをやることだ」と言うのに共感しまして、子どもの頃から興味のあった大工になろうと考えたのです。定年後、ポリテクセンター加古川(加古川職業能力開発促進センター)に通い、徒弟制度なら「見て覚えろ」と言われるような技術を直接教わることができたのは大きな収穫でした。ところが、卒業しても60歳以上の人間には大工見習いの求人はありません。