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大震災から復旧・復興、“地域を愛し、地域に愛される”企業を目指す「株式会社松島蒲鉾本舗」
2024年 4月 22日
日本三景・松島に店舗を構え、“松かま”の愛称で知られる株式会社松島蒲鉾本舗は、東日本大震災で未曽有の被害を受けながらも、開き直りの気持ちで早期の復旧を果たした。2016年には新工場稼働を機に経営ビジョンを策定。その翌年に就任した朱二太(しゅ・つぎひろ)社長のもと、ビジョンに掲げた地域密着の取り組みを進めるとともに、事業の幅を広げている。今年で創業90年を迎えた老舗は、これからも「地域を愛し、地域に愛される」企業を目指していく。
津波で工場が壊滅状態、わずか3カ月後には生産再開
同社は1934年、塩竈(しおがま)で創業した須田商店が前身。その後、1970年に有限会社松島蒲鉾本舗が設立された(1995年に株式会社化)。塩竈工場で笹かまぼこを中心に魚肉製品を製造し、国内屈指の景勝地・松島にある総本店などで販売を行ってきた。
しかし2011年3月11日、東日本大震災で店舗・工場ともども被災。幸い人的被害はなかったものの、とくに塩竈工場は建屋1階天井ほどの高さの津波に襲われ、生産設備は壊滅状態となった。震災翌日、当時社長だった須田展夫氏とともに工場を訪れた朱氏は、あまりの悲惨な状況を目の当たりにして無力感を覚えた。ところが須田氏はむしろ開き直った気持ちで、「ゼロからやり直しだね」と笑いながら話したという。「その一言でみんな勇気づけられ、気持ちのスイッチが切り替わった」と朱氏は振り返る。その後、お中元シーズンを念頭に「3カ月後に生産を再開する」との目標を設定した。
かねてより塩竈工場の老朽化が課題となっていたこともあり、同社はいち早く新しい生産設備の導入を業者に発注。資金も自社で手当てするとして復旧に向けて動き出した。その後、施設・設備の復旧費用の4分の3を補助するグループ補助金制度が新設されたため、同社も申請し、交付を受けた。また、準社員やパートを含めて120人ほどいた従業員の大部分は、雇用保険の特例措置を活用できるよう一時的な離職扱いとした。残った10人ほどで工場や店舗の片付け作業に取り掛かったが、「離職中の人たちがボランティアで手伝いに来てくれ、本当に助かった」(朱氏)という。こうした素早い立ち上がりとチームワークによって目標どおり6月10日に工場で生産を再開。店舗での営業も順次始まり、離職していた従業員は全員復職した。
多賀城市の津波復興拠点に新工場を建設
復旧を果たした同社にとって次なる課題は新工場の建設だった。計画は2013年から本格的にスタートしたが、建設地探しが難航。そんな折、多賀城市が工業団地を計画しているとの情報をキャッチした。同市は本店のある松島と仙台との中間に位置するという格好の立地であることから、早速アプローチした。「その時点ではまだ具体的な計画もできておらず、不確定要素があまりに多かった」(朱氏)という状況だったが、「まるでなにかに突き動かされるような感じで、市の担当者も含め、みんなが一丸となって工場建設に向けて進んでいった」。
その後、津波復興拠点「さんみらい多賀城・復興団地」が造成され、同社は多賀城工場を新設。2016年6月に稼働を開始した。その際、災害時に工場で生産される食料品の提供や被災企業への支援などを行うという立地協定を市と結んだことで、敷地の賃料は安く設定。また、工場などの新増設に際して地元から一定人数の新規雇用を行うことを要件とした津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金も活用した。
「松かまビジョン」を策定、工場は地元住民との交流の場に
同社はさらに、今後進むべき方向性を明確にしようとビジョンの策定に取り組み、工場稼働の2カ月前に「松かまビジョン2020」を公表した。品質マネジメントシステムを専門とする棟近雅彦・早稲田大学教授の協力を得ながら練り上げた同ビジョンでは▽日本三景・松島という立地を生かしたブランドの確立・向上▽かまぼこを通じた魚食文化の普及▽地域に貢献し、地域から愛される企業▽顧客・従業員の笑顔があふれる企業—を目指すとしている。
同ビジョンを具現化する格好となった多賀城工場は、商品の直売所や笹かまぼこ手焼き体験コーナー、工場見学コースが設けられ、単なる生産拠点ではなく、地元住民との交流の場としての役割を果たしている。大震災を機に地域との絆が再認識されるなか、同社が打ち出した地域密着の姿勢は工場内だけにとどまらず、地域のイベントに参加したり、周辺の小学校で出前授業を行ったりと、積極的に外へ足を運ぶ形となっていった。
とくに子どもたちを対象としたイベントは好評だ。多賀城市子育てサポートセンター「すくっぴーひろば」で、たこ焼き風のかまぼこを作る「かまぼこdeたこ焼き」を実施したところ、未就学児と一緒に参加した母親から「ふだんは魚を食べない子なのに、おいしそうに魚を食べた」と喜ばれたという。同ビジョンに盛り込まれた魚食文化の普及にもつながっている。
地域によりいっそう貢献、「おらがまちの松かまだっちゃ」
事業の幅も広げつつある。これまで同社の事業は、観光客向けのお土産と通販によるギフト商品の2本柱だったが、ここ数年で新たに二つが加わった。まずは、地元住民が各家庭の食卓で使える日常食としての商品を開発。手軽に調理できる冷凍食品「松かまキッチンシリーズ」を販売している。そして、より多くの地元住民に商品を買ってもらおうと、多賀城工場直売所の増設を計画中だ。「松かまビジョン」の「地域を愛し、地域に愛される」というメッセージを具体化したもので、「地域の方々に『おらがまちの松かまだっちゃ』と言ってもらえるよう、地域によりいっそう貢献していきたい」と朱氏は話す。
もう一つは他事業者への卸売。これまでは“松かまブランド”を損なわないよう、原則として直売のみを行っていたが、地元のみやぎ生活協同組合をはじめ東北6県の生協と取引を始め、現在は個人宅配のパンフレットなどに“松かま”の商品を採用してもらっている。これで事業の4本柱がそろい、経営はいっそう安定感を増した格好だ。朱氏は「ビジョンは元々、東京五輪が開催される予定だった2020年をゴールに設定していたものだが、今は2020年を新たなスタートとして取り組みを進めている」と話す。
大震災で得た「開き直りと頑張りすぎないこと」
東日本大震災のあとも台風被害やコロナ禍など、同社は数多くの難局に見舞われた。今年1月には能登半島地震が発生し、いつどこで起きるともわからない自然災害のリスクは常に存在している。こうした状況を踏まえつつ、朱氏は「常に先々を考えていないといけない」と強調する。「当社のように規模が小さい企業の場合、一歩、二歩先のつもりで考えていても実際には半歩先にしかなっていないことがある。だからこそ早め早めに準備することが大事」と訴える。
たとえば手元資金の充実。同社は2008年のリーマンショックを教訓に内部留保を進めていたことで、3年後の大震災の際にも早期の生産再開という目標を立てることができた。「とにかく自己資金で復旧しようと取り掛かった。グループ補助金は確かに助けになったが、後付けで申請して利用した格好だ」(朱氏)という。また、台風被害や消費税増税などの影響で売り上げが減少傾向にあった2019年度には事業内容の見直しを進め、団体観光客向けレストラン事業からの撤退や一部店舗の閉鎖を断行した。その直後にコロナ禍となって売上高は6~7割減少したが、「事業の見直しを行っていなかったら、痛手はもっと大きかった」としている。
さらに13年前を振り返り、心の持ちようについて二つのことを挙げた。まず開き直り。工場壊滅にもめげず須田氏が笑顔を見せたことで社内全体が前を向けたという点だ。もう一つは頑張りすぎないこと。「グシャグシャになった工場内を眺め、これを全部片付けるぞ、と意気込んでも、思うように作業が進まず、かえって気が滅入ってくる。そうではなく、きょうはここだけきれいにしようと小さな目標を立てて片付けていった。その繰り返しで日々小さな達成感を味わうことができ、気持ちも段々と前向きになれた」と話す。「開き直りと頑張りすぎないこと」。大震災で得た教訓は、創業90年を迎えた老舗企業の中でこれからも長く語り継がれることだろう。
企業データ
- 企業名
- 株式会社松島蒲鉾本舗
- Webサイト
- 設立
- 1934年(会社設立は1970年)
- 資本金
- 1000万円
- 従業員数
- 83人
- 代表者
- 朱二太 氏
- 所在地
- 宮城県松島町松島字町内120
- Tel
- 022-369-3329
- 事業内容
- 練り製品製造・直営店舗運営・喫茶経営のサービス事業・通販事業