経営支援の現場から
「進取の精神」で新しい支援手法を学ぶ:高崎商工会議所(群馬県高崎市)
関東経済産業局は、地域の商工会議所の経営指導員が「対話と傾聴」を重視した課題設定型支援の手法を実践的に学ぶ「OJT事業」を2022年度にスタートさせた。地域の中小企業・小規模事業者を支える商工会議所の経営支援機能の強化を目的にしている。高崎商工会議所をはじめOJT事業に参加した5つの商工会議所ではどんな成果を得たのか。その取り組みを紹介する。(関東経済産業局・J-Net21連携企画)
2023年 12月 14日
日本一のだるまの産地として知られる群馬県高崎市。中山道と三国街道の分岐点にあたり、古くから「交通の要衝」として栄えた都市だ。高崎駅から上越新幹線と北陸新幹線に枝分かれし、高速道路は物流の動脈である関越道が通る。上信越と首都圏を結ぶ抜群のアクセス性から全国屈指の「ビジネス拠点都市」として存在感を高めている。
高崎商工会議所が設立されたのは明治28年(1895年)。日清戦争の講和条約が調印された年にあたる。関東で6番目、全国でも33番目に古い歴史を持った商工会議所だ。「高崎の経済人は昔から『進取の精神』を重んじる気風を持っている」と総務課課長の梅澤史明氏。新しいことには先陣を切ってチャレンジする。その気風がこれまでの経済的発展を後押ししてきた。
「進取の精神」は商工会議所にも根付いている。2005年には小規模事業者に対して踏み込んだ経営支援をする支援機関を認定する制度「経営発達支援計画」の第1号認定を受けている。「職員はいつもアンテナを高く張り、国の新しい施策が出ると、事業者支援に役立てられないか考えながら仕事をしている。そして事業者に正しい情報をいち早く提供しようと感度高く取り組んでいる」と中小企業相談所経営支援課長の三木幸子氏は話す。その前向きな取り組みがOJT事業へのチャレンジにつながった。
「最新の支援手法学ぶチャンス」若手2人が参加
OJT事業は、普段、中小・小規模事業者の経営支援に当たっている商工会議所の経営指導員たちの指導力向上を目的に、商工会議所の経営指導員、関東経済産業局の職員、中小企業診断士や企業で経験を積んだOBら専門家とチームを組んで企業の課題設定型の伴走支援を行う取り組みだ。最新のノウハウを持った専門家らが経営支援に当たる姿を現場で目の当たりにし、専門家からアドバイスを受ける。経営指導員にとっては支援経験を積む貴重な機会となる。
高崎商工会議所では中小企業相談所の経営指導員12人と経営指導員の資格を持った若手の経営支援員3人が企業の経営支援に当たっている。40~50代のベテラン経営指導員がそろう中で、経営支援員の高橋佑太氏と依藤良治氏の2人が今回のOJT事業に手を挙げた。
ともに30代。1年ほど前に別の部署から中小企業相談所に配属されたばかり。商工会議所に入所して10年弱の中堅だが、経営支援の実績や経験は浅い。「最新の課題設定型の支援を学ぶ絶好のチャンス」(高橋氏)と参加を申し出たという。
一方、OJT事業による支援先の企業については、商工会議所と関わりの深い会員企業を選定した。「一般の企業では、社内の情報をオープンにすることにしり込みするところもある。若手に経験をつける狙いもあり、取り組みを理解し、コミュニケーションが取りやすい役員企業を選定した」と梅澤氏。製造業の若手のリーダー的な存在となっている経営者に白羽の矢を立てた。今回の支援の情報が他の会員企業やつながりのある製造業者に広がることも期待して支援先を選んだそうだ。
「対話と傾聴」の大切さを実地で学ぶ
支援がスタートしたのは2022年11月。経営者自らが経営状況を見つめ直し、課題を見つけて解決につなげる「課題設定型」の支援手法の習得が大きなテーマだ。経営者の声に耳を傾け、対話を重ね経営課題に気付いてもらう。長期にわたり経営者に寄り添いながら粘り強くサポートする。
「課題設定型の伴走支援とは何か」という導入研修から始まり、専門家や支援先企業を交えた面談が行われた。本格的な支援に入ると、2人は課題設定型の伴走支援で非常に重要な「対話と傾聴」を実地で学んだ。
「会社を総点検するため、社長や社員から何日にもわたってインタビューをする。課題を洗いざらい出していく中で、会社のことを一から十まですべてわかるくらいまで細かくリサーチする。何度もやりとりをする中で、会社のことが分かってくる。『対話と傾聴』の重要性に気付かされた」と依藤氏は語る。
高橋氏は「『対話と傾聴』の中で信頼関係を構築することの大変さが分かった。経営者から本音を聞き出すには、チームや自分の本気度を伝えないといけないと感じた」という。
支援チームの専門家も若手の2人を温かく見守りながら指導に当たっている。「『わからないことがあれば聞いてください』と常に言われているので、それこそ文言一つ、カタカナ語から教えていただいた」と高橋氏。経験が浅いことに臆することなく、むしろ若さを前面に出して、専門家たちのノウハウを吸収している。
設定された複数の課題テーマの中で、人材の採用・育成については主体的な立場での支援を任されている。求人票での会社の魅力の押し出し方や幅広い媒体を活用した求人活動などをアドバイスしている。経営指導の先輩である三木氏は「2人とも積極的に取り組んでいて、よくがんばっている」と成長ぶりに目を細めていた。
今後の支援に活かし、「頼られる商工会議所」に
普段、中小企業相談所に相談に訪れるのは、経営規模がそれほど大きくない小規模事業者が中心だ。基本的には、経営指導員と事業者がマンツーマンで対応するケースがほとんどで、分からないことや困り事は先輩からアドバイスを受けながら課題の解決を目指す支援スタイルだ。今回のようにチームで企業を支援するのは極めて少ない。それだけに2人の経験が規模の大きい中小企業や難しい課題を抱えた企業の支援などに発揮されることが期待される。
今後、2人の経験をいかに商工会議所の組織に浸透させるかが重要な取り組みとなる。「課題設定型の支援は、相談所として今までできなかった支援手法であるため、2人の経験を今後の経営支援に活かしていきたい。なるべく早い段階で報告会などを開いてノウハウを共有し、伴走支援の実効性を高められる仕組みをつくっていきたい」と三木氏は話していた。
高崎商工会議所は2010年代に会員の減少に悩んだ時期があったが、2012年に当時の若手職員が中心となりプロジェクトチームを組織し、事業内容や組織の見直しに取り組んだ。それ以降、情報発信力を強化するため、ホームページのリニューアルやSNSを積極的に活用。販路開拓を支援するため、物産展や商談会事業をスタートさせた。
コロナ禍のころは事業者を支えるため、さまざまな補助金が設けられ、多くの相談が寄せられていたが、平時に戻り、補助金に頼った経営支援だけでは支援者のニーズに応えられない可能性も出てくる。「課題設定型の支援ができないと、商工会議所の役割として、支援が手薄になりかねない」と梅澤氏。「頼られる商工会議所」になり続けるためのたゆまぬチャレンジが続く。
支援企業を訪問
海外事業を立て直し、次世代に事業をつなぐ 川島工業株式会社(群馬県高崎市)
群馬県高崎市で工業用のゴム部品の製造・組み立てを手掛けている川島工業株式会社は川嶋正靖社長の祖父が1946年に創業した。もともとは鉄工業が本業だったが、祖父の後を継いだ川嶋氏の父が1984年にゴム事業に参入し、主力事業に成長させた。鉄工業で培った技術を活かし、金属とゴムを一体成型した部品の製造を得意としており、自動車や工作機械など大手メーカーに取引先を広げている。
「鉄工業といっても中心は製造機械のメンテナンスだった」と川嶋氏。しかし、機械が高度化するにつれ、メーカーに直接修理を頼むケースが増え、新たな事業としてゴムに着目したそうだ。しばらくは両輪で続けていたが、ゴムの売り上げが大きく伸び、川嶋氏が社長になって2009年に鉄工業から撤退。ゴム専業で事業を展開するようになった。
OJT事業の支援先企業として川島工業に高崎商工会議所が白羽の矢を立てたのは専務理事の提案だった。川嶋氏は商工会議所機械金属部会の部会長を務めているほか、高崎機械工業組合の副理事長の役職にあり、地元の製造業者のとりまとめ役として信頼が高かった。
商工会議所から打診を受けた当初、川嶋氏は「負担になるかな」と躊躇したそうだ。だが、専門家らがチームを組んで支援すること、1年にわたる長期の課題設定型の伴走支援であることなど支援内容の説明を受け、「いい結果が出るかもしれない」と支援を受けることにした。
「困っていること、悩み事は多々あった」と川嶋氏。支援がスタートしてから課題設定に取り組んだ。「一番不安に思っていること、心配に思っていることが課題にはなったが、そこに行き着くまでいろいろな角度で話をした。いろいろな人の意見というか、視点もあった」と振り返る。多々ある課題の中から2019年に進出したインド工場の立て直しと人材採用を取り上げて経営改善をすることを決めた。
川嶋氏は2015年に高崎市の支援のもとで、市内の企業とともにインドの見本市に出展したことがあった。見本市は盛況で現地のゴムメーカーや現地法人が列をなすほどだったそうだ。取引関係のあった会社の現地法人の後押しもあり、進出を決断した。工場が完成し、「さあ、これから」というタイミングで新型コロナウイルスの感染拡大でパンデミックが起きた。インドはロックダウンになり、工場がほとんど稼働できない状態になった。
「工場の家賃や現地で経営を任せていた社員の給与など持ち出しばかりで、ずっと赤字続きだった。コロナが下火になり、前期の決算でようやく収支がとんとんになった。黒字化に向けてがんばらなくてはならない」と川嶋氏。支援チームのサポートを受けながら、工場の立て直しを図ることにした。
経営の本質的な課題に経営者自身が気づき、自らの力で経営改善につなげるよう導いていくのが「課題設定型」の支援手法。インド工場の立て直しに向けて、川嶋氏は支援チームとの話し合いの中で、よく「痛いところを突かれた」という。「行動を起こさないといけないと思っていながら、言っているだけで終わっていたことが多々あった。それを支援チームは行動を起こす方向で進めていく」と川嶋氏は話す。サポートを受ける中で、インド工場の抜本的な改革がスタートした。
まず組織を見直した。これまで経営陣を現地のインド人に任せていたが、それを見直し、川嶋氏を筆頭に日本人3人を経営陣に据えた。現地まかせだった工場のオペレーションも5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)をはじめとした日本式の管理手法に変え、品質や生産性の向上を図っている。
「品質を上げて顧客の信頼を獲得する。そうすれば、仕事は自然に増える」と川嶋氏は早期の黒字化への自信を深めている。
もう一つの課題を人材採用に設定したのは、将来の事業承継を見越してのことだった。「息子が事業を継ぐかどうかは何も決まっていないが、本音でいえば継がせたい。継がないならそれは仕方がないが、継がせられるような会社の体制は作っておきたい」。会社の陣容をみると、50代の川嶋氏と同年代が中心になっている。このままいくと川嶋氏と同じタイミングで引退してしまう。次世代の会社を担う若手人材の採用が必要だった。
これは多くの中小企業が直面する課題でもある。「若手人材が来ない」とあきらめるのではなく、若い人材が来てくれるためにどうやって会社の魅力を発信するのか。見過ごしてきた魅力の掘り起こしが始まっている。
今回の支援を川嶋氏はこう評価する。
「われわれのような中小企業の経営者は痛いところを突かれるのをいやがる。それでお山の大将のようになってしまう。歳をとると、痛いところを言ってくれる人もいなくなる。それだけに『そういうことも大事だ』と気づかされる」
インド工場の立て直しの先に川嶋氏が見つめるのは、欧州の巨大マーケットとアフリカという新しい世界だ。次の世代にどんな会社を引き継ぐのか。OJT事業の行方が注目される。