Be a Great Small
事業承継の機会を活用して企業変革を実現「有限会社野火止製作所」
2024年 11月 11日
二輪車部品製造からスタートした有限会社野火止製作所は、当初、典型的な下請け企業だった。創業者の後を継いだ長男が積極的な設備投資で事業を拡大、その後を継いだ弟が企業体質を改善、さらに長男の息子である現社長が新規事業を開拓と、経営者の交代を契機に企業価値を高めてきた。後継者不足に悩む中小企業が多い中で、同社の取り組みは多くの企業の参考となりそうだ。
社長急逝で突然経営を引き継ぐことに
同社はプレス機械やレーザー加工機を用いた精密板金加工を得意とする。1960年に創業者の川上清氏が、大手二輪メーカー向けの部品製造会社を買収して事業を始めた。清氏の長男の川上順久氏が事業を引き継ぎ、レーザー加工機を導入するとともに、機械部品加工に業容を拡大させていった。ところが2015年に順久氏が急逝、後継者不在の中で白羽の矢が立ったのが、順久氏の弟で現会長の川上博史氏だった。川上博史氏は大手百貨店の役職を務めた後に定年退職し、企業の販路開拓を支援するコンサルタントとして活動していた。野火止製作所の事業については、相談があれば乗ることはあったが、深くは関わっていなかった。しかし、兄である社長の急逝で、経営を引き受けることを決断した。
川上博史氏が同社の社長として実際に経営する立場になって驚いたのは、企業としての基盤ができていない実態だった。「従業員の退職金制度やきちんとした昇給規定はなく、経営のご都合主義でやっていたと言わざるを得ない状況。福利厚生制度もなかった」。まずはしっかりと経営基盤を固める必要があると考え、企業理念を制定し、同族経営であいまいになっていた経営体制も一新した。「一部の親族の中には不満もあっただろうが、押し切った」と当時を振り返る。
働き方改革など経営基盤を強化
働き方改革にも取り組み、残業代を前提とした給与体系にメスを入れた。残業時間を削減したら、削減した半分の時間給を賞与に上乗せすることにした。さらに目標よりも多く削減した分は、削減分全額を上乗せした。時間当たりの仕事量を増やすことで生産性向上を狙った。従業員も残業目当てで居残る習慣がなくなり、定時で仕事を終えて、早く帰宅することが当たり前になった。また、さまざまな技能の習得を奨励し、ある社員が有給休暇をとったら、別の社員が代わりを担う多能工化を実現させた。これにより、有給休暇の取得率も向上した。最近、20歳代の男性社員が育児休暇を54日間取得するなど、休みやすい環境が定着している。
「生産性が向上して、会社の業績も改善し、結果として社員の給与をかなり上げることができた」(川上会長)と言う。高齢者雇用にも積極的で「81歳の従業員が2人、70歳代はたくさんいる」(同)。技能実習生も3人受け入れ、そのうちの一人は特定技能の資格を取得している。一連の取り組みにより、埼玉県の「多様な働き方実践企業認定制度」の最上位であるプラチナ認定を取得するまでになっている。社員もどうすれば効率的に仕事ができるかを自発的に考えるようになり、意識改革が進んだという。
新型コロナウイルス感染症の流行で、既存の事業が大幅に減った時には、レーザー加工機を活用して透明なアクリル板をオーダーメード加工して飛沫感染対策として企業向けに売り出したり、足踏み式のアルコール消毒スタンドを開発したりすることで、難局を乗り切った。臨機応変に対応する力が備わっていたことの表れだ。本業の部品加工も、取引先からの発注を待つのではなく、自社の技術者がコストダウンや機能向上ができる代替加工方法を提案し需要を開拓するVE(バリューエンジニアリング)による営業提案力を高めている。取引先も精密機器、食品機械、理化学機器、測定機器など多岐にわたる分野へと拡大した。
創業家の親族以外から取締役に昇格した取締役営業部長の飯塚将知氏は「入社した当時は同族経営の“ザ・町工場”という印象で、経営者と社員、社員間のコミュニケーションが乏しかった。でも、この会社の技術力は素晴らしいし、もったいないと思っていた。発言権を得るためには一生懸命仕事を覚えるしかないと頑張ってきたが、今の体制で役員にしてもらえた。今までは工場を主に見ていたが、これからは精密板金の新規開拓に取り組みたい」と、会社が正当な評価をして登用された結果に満足し、今後の事業拡大に意欲を示している。
現社長が販路開拓の先頭に
川上博史氏は2022年に社長職を甥の川上広晃氏に譲り、自身は代表権のない取締役会長に就いた。社長が担えるだけの力が十分についたと判断したからだ。川上広晃社長が社員時代から尽力したのが、取引先の拡大だった。部品加工の下請け仕事だけでは、高い利益率を得ることが難しいと痛感していた。転機となったのが、大型アウトレットモールの看板製作を受注したことだった。自社のレーザー加工機で看板サインをきれいに仕上げた。この経験から、今まで取引のなかったゼネコンやビルの施主などに自社の加工技術を積極的に売り込むことにした。「最初はただ看板を切るだけだったが、そのうち曲げ、溶接、塗装と看板に必要な仕事をトータルでできるようになっていった。出来栄えが評判を呼び、東京駅構内の大型ショッピングモールの看板を製作して設置まで手掛けるまでになった」(川上社長)。社員も自分たちが作った看板が地域のシンボルとなっていることに誇りを感じるようになったという。現在は部品加工と看板・サイン制作の2本柱で経営を行うまでに規模を拡大させている。
自社製品づくりに挑戦
同社が現在取り組んでいるのが、自社製品づくりだ。新会社「株式会社AQforward」を設立し、銀イオン水の製造装置や配管を洗浄する活水器を製造・販売する事業に乗り出した。新会社の社長には川上博史氏が就いた。銀イオン水製造装置は、銀棒に電流を流すことで銀イオン水を製造するというもの。銀イオン水は高い殺菌効果を持つことから、ビルや公共施設、学校、病院などさまざまな施設の除菌に活用できる。同社は事業再構築補助金を利用してこの装置を開発した。また、活水器は配管内のさびや汚泥の堆積を防ぎ、匂いを除去する効果が得られる。活水器事業はもともと他社が手掛けていたが、経営者が高齢になり、事業を続けることが難しくなっていたことから、野火止製作所に事業を譲渡する話が持ち込まれた。埼玉県の事業承継引継ぎ支援センターに仲介してもらうことで、事業承継の手続きを進めた。それまで活水器は特定の電鉄会社向けに提供していたが、今後はより幅広い販路に向けて採用を働きかけていく考え。装置の製造は野火止製作所、販売はAQforwardが担っていく体制だ。
川上広晃社長は「まず既存事業については、精密板金事業を収益性の高いものにし、早期に売上高10億円を目指す。さらに自社製品は海外展開も視野に拡大させる。まだ具体的な道筋までは見通せていないが、方向を示すことで、社員の意欲を高めていきたい」と言う。4代目の社長が描く成長への道筋を見守りたい。
企業データ
- 企業名
- 有限会社野火止製作所
- Webサイト
- 設立
- 1960年8月
- 資本金
- 3,000万円
- 従業員数
- 40人
- 代表者
- 川上広晃 氏
- 所在地
- 埼玉県新座市野火止3-2-48
- Tel
- 048-481-2300
- 事業内容
- 精密板金加工、看板・サインの制作・施工