経営課題別に見る 中小企業グッドカンパニー事例集
「株式会社若松」1本の酒に歴史と現在を注ぎ未来へと繋げる
若松は、東京中心部のオフィス街にある日本酒醸造「東京港醸造」の運営会社である。江戸時代後期に創業した若松だが、明治時代に一度廃業し、2011年に代表取締役の齊藤俊一さんが酒造業を100年ぶりに再開した。市場規模が縮小し続ける日本酒市場へ再参入した理由は何か、果たして勝算はあったのか。
この記事のポイント
- 既成概念を知恵と工夫で克服し、弱みを強みに変換した
- 自社の歴史を活用したプロモーションで、市場へ浸透
- 変化に富んだ商品を提供することで顧客嗜好を把握したファン作り
若松は、江戸後期の1812年創業の造酒屋「若松屋」をルーツとする。若松屋は薩摩藩の御用商人であったことから、その奥座敷には西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟らが出入りしていたと伝えられており、彼らが酒代の代わりに書いたとされる書も残っている。若松屋は江戸城無血開城を目指した藩士たちの密談場とも言われ、若松が運営する東京港醸造の主力ブランド「江戸開城」の命名はこれに由来する。しかし、若松屋は後継者問題と酒造税法の改正などにより事業継続が困難となり、1909年に酒造業を廃業。飲食業を経て、戦後は雑貨小売業に業態を変えた。
100年ぶりの酒造業復活に賭けた想い
酒造業を復活させたのは、お家再興のように「昔の家業を復活させたいとの考えが最初にあったわけではない」と代表取締役社長の齊藤さんは言う。齊藤さんは、港区商店街連合会の副会長を務めており、地方の商店街を視察に行く機会が多かった。視察のたびに見るシャッター商店街に危機感を覚え、地元の商店街の将来のために何かできることはないかとの想いが強くなっていった。
視察先で多少なりとも活気があったのは、観光客が集まる土産物屋や酒蔵であった。「うちも100年近く前までは酒を造っていたと親から聞いていたこともあって、酒造りができたら地元の活性化につながるのではと思った」と齊藤さんは語る。街を活性化する手段として酒蔵を復活させ、観光客を呼び込めないかと考えたのだ。「江戸城無血開城」にまつわる自社の歴史も宣伝に使えるのではないかと考えた。しかし、酒造免許も設備もない状態で、現実的に考えれば絶対にできないと当初は思っていた。
齊藤さんが酒造業復活への夢と現実の狭間で揺れ動いていた14、5年ほど前。大手日本酒醸造会社が東京お台場に出店した直営レストラン内に、小規模な醸造所を併設していることを知り、早速見学に行った。そこで後に東京港醸造の杜氏となる、寺澤善実さんと出会った。齊藤さんは、毎月のように寺澤さんに会いに行き、酒造業復活に賭ける想いを語った。このようにして数年が経ち、お台場のレストランが閉店したことを契機に、若松屋の酒造業復活に向けての2人の挑戦が始まった。
最初の課題は酒造免許の取得である。しかし、日本酒の消費量が減る中、国税庁は既存の酒造を守るために需給調整上の措置を講じており、新規の清酒製造免許発行に対し慎重な対応をしていた。税務署に何度却下されても齊藤さんは申請を諦めず、2年越しの2011年に「その他醸造酒(どぶろくなど)」と「リキュール」の酒造免許を取得した。若松屋が酒造業を廃業してから、まさに100年ぶりの再参入であった。そして、2016年に酒造免許を持ったまま廃業している酒蔵を買収し、5年がかりで念願の清酒製造免許を取得した。このときに、「若松屋」という屋号を、知人から易学ではより良いと聞いた「若松」に変更し、日本酒の醸造所「東京港醸造」を立ち上げた。
弱みを創意工夫で強みに変換し商品価値を高める
東京港醸造の「酒蔵」は、東京都港区芝のオフィス街の狭い路地にある、わずか22坪の敷地に建つ4階建てのビルである。看板がなければ、外観からはここで酒造りを行っているとは想像することもできない。このビルは、もとは齊藤さん親子3世代が暮らす住居であった。
この小さなビルを酒蔵に仕立て上げたのは寺澤さんである。ここには、寺澤さんのこれまでの経験と知識を活かした創意工夫が詰まっている。狭いビルである弱みを逆手に取り、製造工程を上階から下階に進むようにすることで、ポンプなどの搬送設備を不要にした。ポンプを使わないことで、酒の劣化を防ぎ、品質向上にも役立つ効果もあった。4階のベランダで米を蒸し、同じ階にある麹室で麹を造り、床に空いた穴から3階に掛米と麹を落としてタンクで酒を発酵させる。発酵した醪(もろみ)はビニールホースで2階に落とし、そこで搾った後にホースで1階に落として密閉タンクに一旦貯めてから瓶に注入する。酒の半分近くは、朝搾って瓶詰めし、その日のうちに飲食店に直接販売することで、貯蔵タンクや製品在庫の保管スペースも削減できる。弱みを逆手に取ることで省エネルギー、省スペースな製造ラインを実現したのである。また、「その日に搾ったフレッシュな酒が飲める」ことを前面にだすことで、商品価値を高めることにも成功した。
さらに驚くべきは「仕込み水」である。清酒の仕込み水と言えば、蔵の裏山や井戸から湧き出すいわゆる「銘水」を想像するが、東京港醸造の仕込み水はなんと「東京都の水道水」である。一般家庭の蛇口から出てくる水と同じである。「利根川・荒川水系の水道水は中軟水で、伏見の地下水とよく似た酒造りに適した水。酒の味や色を悪くする鉄やマンガンはほとんど含まれず、湧き水などに比べて衛生面や安全性が確実で、塩素は発酵過程ですぐに抜ける」と寺澤さんは語る。東京港醸造では、仕込み水が水道水であることを積極的に宣伝材料に使うことで話題性を作り出し、商品価値を高めたのだ。
当初は「東京港醸造」「江戸開城」のブランドが浸透しておらず、売上は低迷していたが、23区内の地酒であることと酒そのものの味わいを訴求する営業活動を行うことで大手酒販店で取り扱われるようになった。さらに歴史にまつわるストーリー性や水道水で仕込む話題性から多くのメディアに取り上げられるようになり、地域振興を目指す行政の応援もあって、今では順調に売上を伸ばしている。しかし、若松の生産余力は限られており、齊藤さんは、今後、より顧客の嗜好にあった付加価値の高い酒を造り、より高価格帯の商品に注力していく考えである。さらに、コンパクトな醸造設備をパッケージ化し、ノウハウを提供するビジネスを立ち上げることで新たな収益源を増やし、日本酒文化を国内だけではなく海外にも広げていく夢を膨らませている。
東京のように変化し続けることに価値がある
東京港醸造は、酵母と米の組合せを変えることで、次々と新しい商品を生み出し、規模のわりにはかなり多品種を生産している。これは寺澤さんの「東京という街が絶えず変化し続けるように、お酒も同じものを造り続けるのではなく、絶えず一本一本のタンクが変化していってもよいのではないか」との考えによる。ビルの前でキッチンカーを使った立ち飲みのテイスティングバーを夕方から営業し、新商品を顧客に直接提供することで、顧客の表情や生の声を聞いて次の商品開発に活かしている。このテイスティングバーは人気が高く、東京港醸造のファン作りにも貢献している。キッチンカーのカウンターに置いてある酔い覚ましの和らぎ水が入ったタンクに「仕込み水(東京水)」と書いてあるのはご愛嬌である。
有形資産と無形資産の両輪で強いブランドを創る
齊藤さんは、「人が思いつくような事業、人の真似をするような事業をやっても勝負は資本力で決まってしまう」と語る。東京のど真ん中の小さなビルで酒造りをするなど、齊藤さん以外には誰も思いつかなかったに違いない。思いついたとしても、実行に移すことは難しかったであろう。
「事業を成功させるためには、有形資産と無形資産の両方の強みが必要」と齊藤さんは語る。東京港醸造の場合、寺澤さんの経験と知識、そして彼のノウハウを注ぎ込んだコンパクトで高効率な生産設備が有形資産であり、200年を越える歴史が無形資産である。この歴史は、資本力では決して模倣することはできない稀少なものである。
東京港醸造の歴史が酒にストーリーを与え、弱みを逆手にとった話題性がブランド力を高める。地域の活性化にもっと貢献するためにも齊藤さんは、東京港醸造のブランドをさらに育て、次の世代に繋ぎたいと考えている。いよいよ来年には東京オリンピック・パラリンピックが開催される。東京23区内唯一の地酒である「江戸開城」が東京土産として広まることで、東京港醸造のブランドも、全国そして海外にも広がっていくことであろう。
企業データ
- 企業名
- 株式会社 若松
- Webサイト
- 設立
- 2016年(創業1812年)
- 資本金
- 4,000万円
- 従業員数
- 5名
- 代表者
- 齊藤 俊一
- 所在地
- 東京都港区芝4-7-10
中小企業診断士からのコメント
東京港醸造の酒には、東京が凝縮されている。江戸城無血開城にまつわる他社が模倣できない歴史、酒蔵が小さなビルであることと仕込み水に東京都の水道水を使用している話題性、東京の街のように絶えず変化し続ける味などが、ブランドのストーリーを構成する強みとなっている。しかし若松の場合は、最初からこれらの強みを活かした酒造りを目指したわけではない。地域振興の手段として酒造業復活の夢を実現する過程で、有形資産と無形資産をどうやって強みに変換するかを考え抜いた結果である。強みと弱みは表裏一体であり、「うちには強みなんてない」と決めつけてはいけない。強みは自然発生するものではなく創り出すものであり、若松の取り組みはその好事例である。
渡邊 一弘