闘いつづける経営者たち
「笠原健治」株式会社ミクシィ(第1回)
01.模索する新しい交流サイトの形
中国撤退の苦杯
「2008年に中国に進出したときは、04年時点のサービスでもチャンスがあった。だが我々の後に参入してきた会社に勝てなかった」—。笠原健治ミクシィ社長は、過去の苦い経験をこう振り返る。日本で04年に始まり、インターネット上で友人や知人と交流できるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の代名詞にまでなった「mixi(ミクシィ)」。中国に子会社を設立した08年5月当時、1カ月に1回以上mixiを使ったことを示す月間ログインユーザー数(MAU)は、1100万人に達していた。そうしたサービスを持つ会社が、中国からの撤退に追い込まれたのは何故なのか。そして笠原はmixiをどこに向かわせようとしているのだろうか。
薄まる存在感
mixiの存在感が薄まった一因は、他の交流型サービスと比べた際に特徴が分かりにくくなったためだ。この数年の間に、米国発のSNS「フェイスブック(FB)」や、ミニブログ「ツイッター」が日本語対応した。FBは実名公開制のため人脈を広げたい社会人の支持を集めており、ツイッターは気軽に短文を投稿し、一覧できる点が好まれている。日本発ではDeNA(ディー・エヌ・エー)の「モバゲー」や、グリーの「GREE」などゲームに特化したSNSが著しい成長をみせている。
笠原はmixiの強みを「親しい友人と濃密な関係がつくれる」と説明する。FBとは違って実名公開は義務ではなく、日記など情報を投稿する際の表示範囲も「友人まで公開」「友人の友人まで公開」など細かい制御ができる。このため知らない人に不快な思いをさせられることが少なく、SNS上での対話が活発になるとの計算だ。
“濃い関係”生かせるか
しかし、この“濃い関係”は広告展開にはあまり生かされてこなかった。mixiの利用は原則無料のため、ミクシィは主に不特定多数に表示するバナー広告で収益を得ていた。だが、インターネットの世界では利用者の年齢や性別などの属性を参考にしたり、閲覧ページの履歴から好みを判断したりして個別に広告を配信する取り組みが高収益につながるとされる。SNSはそうした情報が取りやすいにもかかわらず、ミクシィは十分に活用できていなかった。
いまミクシィに求められているのは、どんなSNSでありたいのかを再定義したうえで、消費者と広告主双方にとって魅力的なサービスを投入することだ。そうして初めて海外再上陸への道も開ける。「新しい交流サイトのかたちをつくれれば北米・アジアには展開できる。3年以内には実現させたい」と誓う笠原。逆襲へ向けた一手に注目が集まっている。
プロフィール
笠原 健治 (かさはら けんじ)
1975年12月6日、大阪府生まれ。東京大学経済学部のゼミで学んだITビジネスの事例や、米国におけるインターネットビジネスの興隆に触発される。紙の求人情報誌を見てアルバイト採用に応募するのが非効率的だと感じたことなどがきっかけで、在学中の97年に求人情報サイト「Find Job!(ファインドジョブ)」を開始。企業からの受注を伸ばし、ITの世界で生きていくことを決意する。1999年イー・マーキュリー(現ミクシィ)として法人化し、社長に就任。01年に東大を卒業。04年に参加交流型のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「mixi(ミクシィ)」を立ち上げ、現在に至る。休日もインターネットへアクセスし、新しいサービスを構想していることが多いという。
企業データ
- 企業名
- 株式会社ミクシィ
- Webサイト
- 設立
- 1999年(平11)6月
- 資本金
- 37億6500万円
- 所在地
- 東京都渋谷区東1の2の20
- Tel
- 03-5738-5900
- 事業内容
- 参加交流型のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)運営
- 売上高
- 132億2900万円(11年3月期)
掲載日:2012年4月26日