闘いつづける経営者たち

「大東隆行」株式会社王将フードサービス(第2回)

02.常識にとらわれず前進する。

がむしゃらの創成期

1978年頃の大東社長。関東地区の直営1号店、新宿店にて。出店当時は店長を務めた。

がむしゃらだった。朝8、9時から夜中の2時、3時まで働くことも珍しくない。1日で仕事をこなせず、「家に玉ねぎを持ち帰り、そこでみじん切りをしたこともある」。やるべき仕事が多く、1日では時間が足りないのだ。王将フードサービス社長の大東隆行の30歳当時の日常である。
 大東隆行が同社に身を置いたのは20代の後半。義理の兄にあたる加藤朝雄氏(故人)から声がかかり、大東の生活は一変した。入社2年目から早くも店長のような仕事を任され、責任はさらに重くなった。

客の確保もままならず

大東自身も周囲の期待にこたえ、「何でもやった」と回顧する。店舗運営だけにとどまらず、周辺の雑用まで仕事は幅広い。料理の仕込みは当然ながら、調理場や浄化槽の掃除に至るまで積極的に行った。

ギョーザの売れ行きも決して最初から順風満帆ではなかった。当初は客の確保に苦労が絶えなかったが、その後は味の工夫など努力のかいもあって、徐々に人気が高まってきたという。そこから4−5年間、改良に改良を重ね、客の期待にこたえるギョーザ作りを目指した。

無料券の配布も

地域性や客のニーズに合わせた調理にこだわる王将の料理。

こだわったのは、もちろん味だった。例えば油の量をどうするか。肉と野菜、調味料の配分なども味付けに大きく影響する。ギョーザという一見シンプルな食べ物にも「時代や季節によって味の好みが変わってくる」。客の嗜好(しこう)を把握するため、直接客に感想も聞いた。ほかにも無料券を配るなど大胆な販促策も行った。「(競合店など)皆から笑われた」と大東は当時を思い返して苦笑する。それでも採算度外視の捨て身の戦法が、結果的に王将を地域に根付かせることにつながった。

女性客にも注目し、来店数の拡大にも無料券を利用した。「王将の料理を、とにかく食べてほしかった」と語る大東は、若い時から型破りだった。その常識にとらわれず、常に前進し続ける力は今も経営の中に息づいている。

プロフィール

大東 隆行 (おおひがし たかゆき)

1941年大阪生まれ。関西経理専門学校中退後、薪炭と氷の小売り販売を行ってきた。当時は「夏と冬に働いて、それ以外はぶらぶらと暮らしていた。おかげでマージャンの腕が上がった」という。20代の後半に差しかかった時、実姉の夫にあたる故・加藤朝雄氏の誘いもあって「餃子の王将」に転身、新たな活躍の場を得た。社長就任時から人とのかかわりを重視しつつ、会社全体の質向上を進める姿勢を信条に掲げる。社員をはじめ客の声にも耳を傾け、利用客のクレームにも直ちに対応する体制を作り上げるなどサービス向上に取り組んでいる。店舗拡大にも努め、現在国内では直営店348店、FC店188店の合計536店。1967年に京都市中京区でオープンした第1号店は諸般の事情から08年に一度閉鎖を余儀なくされた。しかし09年9月には創業者である加藤氏の思いを引き継ぐ象徴的な存在として再生を果たしている。

企業データ

企業名
株式会社王将フードサービス
Webサイト
設立
1974年(昭和49年)
資本金
81億66百万円(平成20年3月31日現在)
従業員数
1540人(連結・21年3月末現在)
所在地
〒607-8307 京都府京都市山科区西野山射庭ノ上町294番地の1
Tel
075-592-1411
売上高
549億86百万円(連結・21年3月期)
創業
1967年(昭和42年)

掲載日:2009年11月12日