闘いつづける経営者たち
「長谷川裕一」株式会社はせがわ(第3回)
03.大切なのは志の高さと使命感
関東進出
はせがわは九州・山口地区で地盤を固めた後、1979年に「東京砂漠にオアシスを!」との掛け声のもと、関東初出店を果たした。その後、東海地区へも進出。現在は関東、東海、九州・山口に116店舗のネットワークを築いている。
長谷川の関東進出へのきっかけは、市場規模の大きさではなく、東京を訪れたときに感じた違和感だった。出身地の九州に比べてお寺が少ない街並みを見て、仏壇の普及率が低い関東で仏教精神を広めたいとの思いからだった。「本来人間は心の豊かさを実現するために便利さを求める。しかし現代は便利さだけを求めている。欲望の解放が目的のはずが、さらに欲望を求めている」。長谷川の目には東京が砂漠に見えた。
教育費は惜しまない
「日本一の仏壇屋」へ向け、店舗拡大する中においても仏壇屋の誇りを失わなかった。すべての店舗を直営で展開したのも、仕事に対する使命感や創業の精神を社員と共有するためだった。長谷川は「日本人の精神文化のよりどころであるお仏壇をより多くのご家庭にお届けしたい」と考えた。しかし、「従業員が6名以上になるとコントロールできなくなる」と、創業者・才蔵は「自分の目が届く範囲で事業をする」考えだった。長谷川はあくまでその方針を尊重しながらも、チェーン展開をはかり、社の成長を実現させたのだ。「大切なのは規模の大きさではない。志の高さと使命感だ。基本は教育。だから社員が仏教や教育的知識を学ぶための教育費は惜しまない」。長谷川の熱い思いは、会社の隅々にまで浸透している。
多角化から本業回帰へ
現在同社は新たなステージを迎えようとしている。仏壇業のチェーンシステムの限界を超えるのが目標だ。「トップダウンの方式では現場の創造力が欠如する。お客さまとの対面販売において、相談相手になれる社員を育てなければいけない」と話す。
はせがわは90年代に事業の多角化を目指して海外や他業種へも進出するが、09年度までにすべてをいったん整理した。10年度からは本業に絞り、墓石・霊園事業や葬儀の相談・紹介事業を含めた、仏事をトータルで顧客に提供する企業へと歩みを始めた。
異業種を捨てて本業に回帰する。しかし、その決断は、技術力というバックボーンがあってこそ可能だったのだ。
プロフィール
長谷川 裕一 (はせがわ ひろかず)
1940年福岡県直方市生まれ。父・才蔵が創業した長谷川仏具店で、父の背中を見て育つ。中学卒業後に家業を継ぐと決心するも、両親の強い勧めで進学。龍谷大学文学部仏教学科卒業後の63年、念願の長谷川仏具店入社。67年チェーン展開を開始。79年「東京砂漠にオアシスを!」を合言葉に関東地区初出店。82年に父の後を継ぎ社長に就任する。88年福岡証券取引所、94年大阪証券取引所市場第二部に上場を果たし、宗教用具業界唯一の上場企業となる。08年4月には社長を実弟・房生に任せ、会長に退く。同年6月、日本ニュービジネス協議会連合会会長就任。日本伝統文化の普及や経済界の発展に身を捧げている。
企業データ
- 企業名
- 株式会社はせがわ
- 資本金
- 39億1,576万円
- 従業員数
- 1,149人(連結)
- 所在地
- 〒812-0026 福岡県福岡市博多区上川端町12-192
- Tel
- 092-263-7600
- 事業内容
- お仏壇製造販売、お葬式ご相談・紹介、霊園・墓石事業、国宝・重要文化財修復
- 売上高
- 211億5,800万円(09年3月期、連結)
- 創業
- 1929年9月
掲載日:2009年11月2日