闘いつづける経営者たち

「長谷川裕一」株式会社はせがわ(第2回)

02.心は形にしないといけない。形にするからこそ伝わる

三井三池炭鉱事故

「あんたは人の不幸につけ込むのか−」。長谷川が長谷川仏具店(現・はせがわ)に入社して間もない1963年11月。こんなば声を浴びせられた。

場所は福岡県大牟田市。炭鉱史に残る「三井三池炭鉱ガス爆発事故」現場だ。458人が死亡、800人超が負傷した事故現場へ長谷川が出かけたのは事故発生の3日後。いまだ捜索活動が行われている状況だった。目的はもちろん遺族に仏壇を納めるためだ。

入社当時の打合せ風景

炭鉱側の労務課長からは「人の不幸につけ込むのか」と非難された。しかし長谷川は金もうけに行った訳ではなく、たじろぎはしなかった。

当時の三池炭鉱は採掘が盛んで、若い労働者が多く働いていた。一家の主を失った家族は生きる寄る辺をなくし、女手ひとつで子どもを育てていかなければならない家庭も多くあった。長谷川の目的は遺族の生きるための精神的よりどころの提供だった。「ご遺族にとって、補償金よりも大切なものがある。お金は使えば無くなるが、お仏壇は形として残る。仏様が永遠に守ってくださるということは、お金では買えない」と思いのたけをぶつけた。

長谷川の思いを理解した労務課長は労働組合の委員長を紹介、遺族名簿を渡してくれた。長谷川はこの名簿を頼りに2か月間、遺族を訪問して回った。

常識を覆す営業手法

営業活動の様子。常識を覆す外商営業を導入した。

はせがわが「日本一の仏壇屋」を目指して導入した外商営業という手法。きっかけはこの事故にあった。後年、長谷川のもとには遺族から感謝の声が届く。仏壇があったことで救われ、おかげさまで子どもたちが立派に成長しましたという内容のものだったという。「心はころころ転がって無くなってしまう。心は形にしないといけない。形にするからこそ伝わる」。長谷川は当時を振り返りしみじみと語った。

仏壇業界では亡くなった方の家庭に仏壇を売り込むのは「うしろめたい」という意識があった。常識破りとの声も聞こえてきたが、それは長谷川が仏壇をただの「モノ」とは考えなかったからこそ実現できたのだ。

長谷川のこの精神性はその後の経営にも貫かれる。九州・山口地区で店舗を広げた後、「東京砂漠にオアシスを!」のスローガンのもと、いよいよ巨大市場の関東地区へと進出することになる。

プロフィール

長谷川 裕一 (はせがわ ひろかず)

1940年福岡県直方市生まれ。父・才蔵が創業した長谷川仏具店で、父の背中を見て育つ。中学卒業後に家業を継ぐと決心するも、両親の強い勧めで進学。龍谷大学文学部仏教学科卒業後の63年、念願の長谷川仏具店入社。67年チェーン展開を開始。79年「東京砂漠にオアシスを!」を合言葉に関東地区初出店。82年に父の後を継ぎ社長に就任する。88年福岡証券取引所、94年大阪証券取引所市場第二部に上場を果たし、宗教用具業界唯一の上場企業となる。08年4月には社長を実弟・房生に任せ、会長に退く。同年6月、日本ニュービジネス協議会連合会会長就任。日本伝統文化の普及や経済界の発展に身を捧げている。

企業データ

企業名
株式会社はせがわ
資本金
39億1,576万円
従業員数
1,149人(連結)
所在地
〒812-0026 福岡県福岡市博多区上川端町12-192
Tel
092-263-7600
事業内容
お仏壇製造販売、お葬式ご相談・紹介、霊園・墓石事業、国宝・重要文化財修復
売上高
211億5,800万円(09年3月期、連結)
創業
1929年9月

掲載日:2009年10月29日