闘いつづける経営者たち
「三浦織江」アイ・プルーナ株式会社(第1回)
01.起業意識の芽生え
化粧品の商品名に「豚」。「えっ?」と思うようなネーミングで、保湿クリーム「黒豚コラーゲンプルーナ」などを商品化しているアイ・プルーナ。社長の三浦織江さんは、まったくの素人ながら化粧品の企画から開発、販売まで手がける会社を起こした。現在は国内販売にとどまらず中国に進出。グローバル展開を目指している。
憧れの客室乗務員に
1957年、三浦さん福岡県久留米市に生まれた。父は教師、母は専業主婦。事業や起業とは縁遠い家庭で育つ。大学を卒業すると、テレビドラマで憧れた客室乗務員になり、東京から日本中を飛び回った。しかし会社に勤めたのは約5年。娘にそばにいてほしいと両親に懇願され、福岡に戻った。
福岡では新聞社や放送局の仕事をするフリーライター・リポーターとなり、イベントで司会することも。一カ所にじっとしていない生活は福岡でも変わらなかった。
結婚を機に専門学校の講師となり、ビジネスマナーなどを担当する。「決まった時間で働きたかった」ので学校を職場に選んだ。リポーター時代に比べて時間に余裕ができると、仕事の傍ら大学と大学院に合計6年間通い、商学や経済学を学ぶ。大学院の修士課程修了後には税理士の資格を取った。とはいえ税理士を目指した訳ではない。自身が「勉強するために明確な目標を設定して、それに向かう性格」と言う通り資格は動機付けだった。行政書士や宅地建物取引主任者なども、目標に定めて資格を取得している。三浦さんは「趣味で取った」と笑う。
4年かけてチャレンジ
起業意識が芽生えたのは、税理士事務所での実務経験がきっかけ。それまでは企業と言えば大企業しか思い浮かばなかったが、中小企業や零細企業の存在を身近に知って興味が湧いた。起業する5年ほど前のことだ。
そして2002年、起業をしようと決心。しかし講師の収入や組織に属する安心感は手放せず、初チャレンジまで4年の歳月を費やした。その間、商工会議所や中小企業大学校が主催する起業関連講座に手当たり次第に参加した。今では「起業塾荒らしのようだった」と振り返る。
2004年に初めて、起業のチャンスが舞い込んだ。福岡市の中心街・天神地区の商店街にある遊休スペースが賃借できることになった。「サービス業しか想像できなかった」ため飲食店を企画。改装の具体的計画まで順調に進んだ。
虚脱感と安堵感
ところが、内定していた契約の直前。スペースのオーナーの事情で賃借ができなくなり、企画は白紙になった。このとき三浦さんは悔しさや虚脱感と一緒に安堵(あんど)感も覚えた。事業計画の実行が難しすぎるのではないかという不安が頭の隅にあったからだ。この一件を三浦さんは「準備不足を見直すよいチャンスをもらった」と前向きにとらえる。同時に「ビジネスに絶対はないことを思い知った」という出来事でもあった。
飲食店の計画が白紙になった直後、2005年3月に福岡県西方沖地震が起きた。計画が予定通りに進んでいれば開店を間近に控えた時期。商店街は大きな被害を受け、什器や食器に被害が出ることは確実だった。三浦さんは再び安堵し、時機の大切さを実感した。
プロフィール
三浦 織江 (みうら おりえ)
1957年福岡県久留米市生まれ。西南学院大学法学部を中退して全日本空輸(ANA)に入社。東京空港支店に所属する。退社後、フリーのライターやリポーターを経てビジネス系の専門学校講師に転職。マナーや就職関連の科目を担当する。1994年から2000年に福岡大学で商学、経済学を学び、2007年にアイ・プルーナを創業した。
企業データ
- 企業名
- アイ・プルーナ株式会社
- Webサイト
- 資本金
- 900万円
- 所在地
- 福岡県福岡市南区平和1-5-16
- 事業内容
- 化粧品の企画・開発・販売
掲載日:2014年4月4日