闘いつづける経営者たち
「滝 久雄」株式会社ぐるなび(第1回)
01.執念が神風を呼んだ
インターネットの誕生は情報通信の産業革命だ-。ぐるなび創業者で現会長の滝久雄氏は、そう確信するとただちにターゲットを外食産業に当て、ぐるなびのビジネスモデルを構想し事業としてスタートした。今や東証1部上場企業となり、不況下にあって業績を伸ばした企業の代表格であるぐるなびだが、ビジネスとして確立するには多くの生みの苦しみが存在した。
新しいメディアの開発
大学時代から起業家を志してきた滝氏だが、駅や電車を媒体とする交通広告のNKBでの事業を拡大するなかで、コンピューター、情報通信を生かした新しい広告媒体やビジネスモデルを打ち立てることは長年の夢だった。
滝氏は「ぐるなび立ち上げの30年前から、新しいメディアを生かした情報メディアの開発を毎日考えていた。特に、公衆回線が自由化されてからの10年間で、50億円もの資金をつぎ込み、悪戦苦闘の日々だった」と振り返る。
ITを生かした情報提供サービスの発案はNTTの民営化以前、日本電信電話公社だった時代に遡る。滝氏は電電公社のキャプテンという文字図形の送信サービスを知るが、「スピードが遅く、コンテンツにも魅力がない。これではダメだと感じた」。
それでも、公衆回線が自由化された1985年には東京駅「銀の鈴広場」に自社で開発した「JOYタッチ」を開設。ブライダル情報をはじめ、アルバイト情報、住宅情報などを提供し、「好評を得ることができた」(滝氏)。そのノウハウを生かし、86年、93年の2度の東京サミットでは端末サービスを担当し、インテリジェントターミナルで外国人記者向けに生活情報を提供。90年には営団地下鉄(現東京地下鉄)にメトロガイド端末を設置したところ、高い技術が評価され、当時の運輸大臣賞も受けた。いずれも「周囲からは広告会社的な取り組みではないと思われたかも知れない。それでも、コンピューター・サービスに関する知識とノウハウは蓄えることができた」(滝氏)。
インターネットへの期待
ただ、成果と実績を残しながらも「社会的にブレークスルーするまでには至らなかった。業界関係者からは評価されても、事業としては利益が出ておらず、赤字を出していた。経営者としては撤退の選択肢を持ってもおかしくはなかった」(滝氏)。オーナー企業とはいえ、年間5億円を注ぎ込んできた投資は10年を経て50億円を超えていた。バブル景気も崩壊し、半ば諦めかけたが、「都市における新しい情報伝達メディアを創出したい」という執念が神風を呼び起こした。それがインターネットの出現だった。
インターネットは「時間と距離をゼロにする。また、映像を2ケタ以上コストを下げて提供できる。それまで、画像を使えないことがネックになっていた私たちにとって、恵みの雨だった」。
そして、滝氏は号令をかける。「情報系における産業革命を起こすのだ」と。 18世紀の英国で起きた産業革命はジェームス・ワットの蒸気機関により、機械を動かす動力が1馬力から100馬力へと一挙に向上した。伝えたい情報を文字だけでなく、手っ取り早く映像で伝えられる。「このテクノロジー革命への期待感は私がそれまでに抱いたことのない大きなものだった」。
プロフィール
滝 久雄 (たき ひさお)
1940年2月3日生まれ。63年東工大理工卒、同年三菱金属(現三菱マテリアル)入社。67年に交通文化事業(現NKB)に入社。85年NKB社長に就任。96年に「ぐるなび」を開設。2000年にぐるなび事業を独立させ、2005年には大阪証券取引所ヘラクレスに上場。08年12月には東証1部に上場した。東工大客員教授のほか、政府審議会委員なども務める。
企業データ
- 企業名
- 株式会社ぐるなび GOURMET NAVIGATOR INCORPORATED
- Webサイト
- 設立
- 1989年10月2日(会社設立) 2000年2月29日(株式会社ぐるなび発足)
- 資本金
- 2,334百万円(2009年12月31日現在)
- 従業員数
- 単体1,183名 連結1,313名(2009年12月31日現在)
- 所在地
- 〒100-0005 東京都千代田区丸の内三丁目4番1号 新国際ビル2F
- 事業内容
- パソコン・携帯電話などによる飲食店のインターネット検索サービスその他関連する事業
- 売上高
- 200億1144万円 2009年3月期
掲載日:2010年4月12日