闘いつづける経営者たち

「清水直子」ファイン株式会社(第2回)

02.八面六臂の奮闘が始まった

清水直子さんが、勤務していた商社から呼び戻された1990年、ファインは米国のキャラクターをあしらった歯ブラシを下請で生産していた。ところが、米国の版権元とライセンス契約を結んでいたメーカーがその契約を打ち切ることになり、その継続の話がファインに持ち込まれた。

ああ、そうだ!直子がいる

米国のキャラクターのライセンス契約を機に直子さんはファインへ入社した

清水直子社長はこう振り返る。

「契約書類のやり取り等で英語が必要になったのですね。さらに、契約の条件にパソコン操作も入っていたようで、英語とパソコンの両方ができる人を探していた。ところが、当時はなかなかそのような人が見つからない。そんな時、ああ、そうだ!直子がいるじゃないかとなって、私が呼び戻されたというわけです」

乞われてファインに入社した直子さんだったが、おおいなる戸惑いを感じた。かつて勤務した商社とは異なる「のんびりした社風」。商社時代との落差があまりにも大きかったからだ。

さらに、時を経るにつれて直子さんを巡る環境も変わっていく。英語と貿易実務だけでなく、何からなにまでやらなければならない立場へと導かれていくのだ。そのきっかけは社内の状況変化だった。折しも父・益男社長の右腕として社業のすべてに通じていた役員が独立するために退社し、さらには将来の社長と目されていた女婿(姉の夫)も退社。そこに追い討ちをかけるように益男社長が病没(1995年)。それは直子さんがファインに入社して5年を経た27歳のときだった。

まさに暗黒の30代でした

八面六臂の奮闘の結果、ストレスで心身ともに疲労した30代だったが、副社長就任から肩の力も抜けてのびのび仕事に取り組めるようになった

1994年、父の後を継いで母・和恵さん(現会長)が2代目社長に就任。同時に直子さんも取締役に就任し、文字どおり八面六臂の奮闘が始まる。

携わった業務は、OA機器の導入・管理、広告のコピーライト、ニュースリリースの作成。さらに突然経理の仕分け業務、原価や給料の計算、あるいは営業に回り、3工場(大阪・八尾、三重・名張、三重・伊賀)で工程管理を学び、協力会社を訪問する。過酷で多忙な日々が続いた。

「歩くというよりいつも小走りでした。言葉はとげとげしくなり、いつもイライラ。ストレスで口の周りが真っ赤に腫れ上がったりとまさに暗黒の30代で、ノイローゼ寸前までいきました。そんなとき思い立って、逃げるようにインドへ行ったのです。デトックス(解毒)ならアーユルヴェーダだわ、と。2004年のことでした」

そして副社長に就く

インド旅行でストレスを感じやすい考え方を改善して帰国したものの、その後も苦難が襲いかかる。結婚も考えていた恋人をバイクレースで亡くし、悲嘆の淵に沈む。

が、その不幸が図らずも大きな転機をもたらした。自分なりに奮闘してきたつもりでも、社業に本腰が入っていなかったことに気づいた。「会社や社長、社員に申し訳なく思い、恩返しをしなければという気持ち」(直子さん)が生まれた。

そんな心境の変化を見た和恵社長は2006年、直子さんを副社長に引き上げる。

「副社長になって気分が一変しました。後継者として動いていいんだという気持ちに切り替わり、のびのびと仕事ができるようになりました」

それから東京都中小企業振興公社の講座を受講したり、さまざまな本を読むことでものづくりや財務についてもう一度基礎から学び、経営の王道を自らに叩き込んでいった。さらにPL(損益計算書)を社内で公開し、社員個々の原価意識を高めるといった社内改革も始め出した。

プロフィール

清水 直子 (しみず なおこ)

1967(昭和42)年生まれ。1988年、貿易商社の宝通商に入社。1990年、宝通商を退社し、ファインに入社。1994年に取締役、2006年に副社長に就任。2010年、父、母に続く3代目の社長に就任する。歯ブラシというハードのみならず、幼児の口腔衛生セミナーなどソフト面にも着目し、心身の関連性を重視するビジネスにチャレンジする。

企業データ

企業名
ファイン株式会社
Webサイト
資本金
2000万円
所在地
東京都品川区南大井3-8-17
Tel
03-3761-5147
事業内容
歯ブラシ製造・販売
売上高
2億円

掲載日:2013年12月12日