闘いつづける経営者たち
「高岡 伸夫」株式会社タカショー(第2回)
02.他社がしないことを手掛ける
友人4人と「タカショー」設立
タカショー創業者で現社長の高岡伸夫は、最初から経営者を志していた訳ではない。もともとの夢は「歌手」。フォークソング好きだった高岡は友人とグループを組み、大阪経済大学在学時にテレビやラジオのオーディション番組に挑戦する。
しかし落選が続く。フォークソングを通じて知り合った淳子夫人(現取締役)とすでに付き合っており、収入がない状況を続けたくないとの思いがあった。この時痛感した「競争が厳しい世界で勝負するのは大変」との考えは、「他社がしないことを手がける」タカショーの方針につながる。
大学卒業後に建築金物商社に就職。東京で勤務した。「都会ではあるが大阪と比べて緑が残るまちづくりがされている」というのが高岡の東京に対する印象だった。
同社に3年間勤めたのち退職して海南市に戻り、家業を手伝い始める。高岡の父親は、竹垣などを結ぶのに使うシュロ縄や竹を販売する「高岡正一商店」を営んでいた。シュロ縄生産は海南市周辺の地場産業でもある。ただシュロ縄の売り上げは落ち目で、周りの企業は手を引きつつあった。「つまりはチャンスではないか」と高岡は発想を切り替え、日本全国をシュロ縄の営業に回った。しかしやはり結果は芳しくない。 もどかしさが募った。「父親が作った器のなかで動いていても成長できない」。そう考えた高岡は80年、淳子夫人ら大学時代の友人4人と「タカショー」を設立。26歳の時だった。社名の「タカショー」は「高岡正一商店」の短縮形として名付けた。英語に語感が似ていて、外国人でも発音しやすいと高岡は自負する。
採用は子どもを生むのと同じ
タカショーの事業のイメージとなったのは、シュロ縄営業で飛び込んだ三重県のホームセンター(HC)だ。日用雑貨など生活にかかわる製品を幅広く扱うHCの姿は、単にガーデニング素材を販売するのみならず、ライフスタイル全般を提案するタカショーのあり方のヒントとなった。
創業から数年間は「売り上げを出すのに必死だった」。カタログも手作りで、社員たちが旅館などをまわり、配っていた。特に悩みのタネだったのが人材の問題だった。採用した社員がすぐ辞めてしまう。やがて高岡は「能力が高い人材を採用するだけでなく、現在いる社員をうまく生かさないといけない。社員ができないことは社長自らがやればいい」と発想を転換した。
同社は採用において筆記試験は一切行わず、面接で採用不採用を判断する。「自分に対する評価は自分ではなく他人がするものだと理解していて、人の話を素直に聞き、心が健康で明るく、物事を根気強く続けられる人材をじっくり選んでいる」という。
高岡は採用時の説明会や最終面接には必ず同席する。新入社員とも一緒に飲みに行く。会社の理念や経営方針を文章にして毎年1月4日に全社員に配り、共有化を図る。パート社員を「フレンド社員」と呼ぶ。
こうした姿勢は「社員を採用するのは子どもを生むのと同じ」という高岡の考えの表れだ。「ここ2、3年辞めた人はおらず、社内結婚が多いのが当社の特徴」。結婚式に出席した際には得意のギターを披露する。
プロフィール
高岡 伸夫 (たかおか のぶお)
1953(昭和28)年3月3日、和歌山県生まれ。75年松本金物入社、77年高岡正一商店入社、80年タカショー設立、専務就任。89年社長。
企業データ
- 企業名
- 株式会社タカショー
- Webサイト
- 設立
- 1980年8月21日
- 資本金
- 5億7056万円
- 従業員数
- 399人(うち正社員275人)(2010年5月現在)
- 所在地
- 〒642-0017 和歌山県海南市南赤坂20-1
- 事業内容
- 人工和風竹フェンスを主力とした庭園資材の企画・製造・販売
- 売上高
- 127億5600万円(2010年1月期)
掲載日:2010年10月4日