闘いつづける経営者たち
「志太 勤」シダックス株式会社(第2回)
02.失敗を繰り返しながら学んだ高い志と不屈の精神
病魔に襲われ人生を見失う
街はずれにあるその国道沿いの大衆食堂は賑わいを見せていた。当時としては珍しい24時間営業が、長距離トラックの運転手らに受けた。
新たな営業手法を実行したのは志太である。高校2年の時、義兄から譲り受けた店だった。なぜ志太は高校生の身で商売の世界に飛び込んだのか。そこには志太の生涯を運命づけた少年時代の悲しい現実が横たわる。
「多発性関節炎」。本気でプロ野球選手を目指す高校2年生の志太にとって、その診断はあまりに過酷な宣告だった。
静岡県立韮山高校でエースピッチャーとして活躍し始めたのもつかの間、右腕を痛めて入院。「一生ボールは握れない」と診断された。
絶望に打ちひしがれ、自殺の名所で知られる熱海市の錦ヶ浦を涙まじりでふらついていると、不審に思った公園の管理人が声をかけてきた。
「野球がダメなら商売で日本一になりなさい」。事情を聞いて激励してくれた管理人の一言が、若き志太に大きな希望を与えた。志太が商売人になろうと心に決めた瞬間である。
まさか倒産するとは思わなかった
大衆食堂を店開きして1年が過ぎた。24時間営業の効果で、当初は賑わいを見せたものの、国道の近くにバイパスが完成すると、客足は次第に遠のいた。上客のトラック運転手がバイパスを利用するようになったためだ。店員に支払う給与が底をつくと、大衆食堂はあえなく閉店に追い込まれた。
ヒットで出塁はしたものの、牽制球であえなくアウトになったようなもの。起業家、志太の最初の失敗である。志太はモータリゼーションという時代の波に翻弄された苦い経験から、起業家としての教訓を学んだ。「時代の変化」「時の流れ」を見誤れば、ビジネスに大きな影響を与えることを知った。
2度目の倒産—鉄くずを拾って集め電車賃を捻出した—
なぜか志太の親戚縁者には食べ物関係の仕事をしている人が多い。アイスキャンディ会社を経営する実兄もその一人だ。その兄が大衆食堂を店仕舞いした志太にアイスキャンディの卸売を勧めた。エアコンが普及していない当時のこと。「いざ売り出してみると、飛ぶように売れた」。品切れ状態をどう解消するかが悩みのタネだった。
他に選択肢はなかった。志太は思い切って冷菓工場の建設に踏み切る。ところが、またしても不運が襲う。従業員の火の不始末による工場の全焼。「しまった」と思ったのも後の祭り。最大の禍根は火事そのものではなく、未加入だった火災保険。
志太には多額の借金だけが残った。「若かったから火災保険のことまで気が回らなかった」と本人は反省しきりだが、以来、志太はリスク管理の徹底を肝に銘じるようになった。
「どんなに失敗しても決して諦めない」。気持ちを奮い立たせ上京した志太に、今度は生涯の仕事となる給食事業が待っていた……。志太が25歳のときである。(敬称略)
プロフィール
志太 勤 (しだ つとむ)
1979年兵庫県芦屋市生まれ。恵泉女学園大学を卒業後、銀行、不動産会社などの勤務を経て2008年に株式会社つ・い・つ・いを創業。「ついつい手にとって食べてしまう、ちょっと贅沢なあられ」を商品コンセプトに、ルミネ北千住を中心とした店舗とウェブサイトのオンラインショップで販売する。アメリカ、フランス、マレーシアなど海外への販売も好調。2013年に「日経ウーマンオブザイヤー2013キャリアクリエイト部門」受賞、2014年には在日米国大使館から起業家を顕彰する第4回日本起業家賞の特別賞を受賞した。
企業データ
- 企業名
- シダックス株式会社
- Webサイト
- 設立
- 2001年04月02日
- 資本金
- 8,930 (百万円)
- 従業員数
- 11,000(23,042)(名)
- 所在地
- 〒150-0041 東京都渋谷区神南1丁目12番13号
- Tel
- 03(5784)8881(代表)
- 事業内容
- フードビジネスに関する企業の株式を所有する持株会社。子会社に対する経営指導、管理業務などが主な事業。
- 売上高
- 175,150 (百万円)
掲載日:2007年10月19日