闘いつづける経営者たち

「堀 高明」株式会社スターフライヤー(第1回)

01.航空会社の新しい常識をこの手で作り上げたかった

航空業界のプロが目指した大胆かつ新しいチャレンジ

06年3月16日、新北九州空港の開港日。新しい空港に新しい航空会社、新造された飛行機・・・。

午前6時5分、黒と白のカラーでデザインされたスターフライヤーの一番機、SFJ071便が羽田空港から北九州空港に向けて飛び立った。

一番機を見送った堀は、資金集めに協力してくれた地元の行政や企業の幹部に深々と頭を下げて感謝の意を表した。しかし堀自身が感激に浸っている余裕はなかった。

「まったく資金のない連中が集まって装置産業である航空会社を始めた」。それだけに「ようやくスタートラインまでたどり着けた」状況。だが、しなければならないことは山積している。

就航後1年は営業的に四苦八苦の状態で07年度下期から黒字を見込むが、いまだに安定飛行に移ったとは言い難い。

堀は子供のころから大空にあこがれていたわけではない。船や飛行機のプラモデルは作ったが、乗り物が好きな普通の男の子に過ぎなかった。

ただ、ひとつだけ今でも鮮明に覚えているのは、1957年世界初の人工衛星「スプートニク1号(旧ソ連)」の打ち上げ」という。

「人類が宇宙に一歩踏み出したことよりも秒速8kmのスピードのすごさに驚いた。子供ながらにも8kmというと距離感がある。そこを1秒で飛ぶことが衝撃的だった」

逆境を苦にせず楽しめる性格だった

日本大学に入学し、「YS-11」をつくった木村秀政教授の門をたたく。当時は理工学部機械工学科航空専修コース(現在の航空宇宙工学科)で、機械と航空の両方を学んだ。ただ、くしくも学園紛争のさなか。日大も例外ではなく、入学式もなかった。

2006年3月16日、スターフライヤーの就航日。堀が追い求めた理想の翼「エアバスA320-JA01MC(1号機)」は、東京・羽田から北九州に向けて飛び立った

日大には戦後すぐに設立された航空研究会という伝統的なクラブがあった。堀は2年生になると、学園紛争で休部されていたその航空研の復活に立ち上がる。学園紛争で占拠されていた部室の奪還を仲間とともに始めた。

とにかく人数を集めようと他の同様な状態のクラブも含めて粘り強く仲間を増やしていった。最初は5クラブだった仲間が40に増えた。

「増えだすと皆が集まってくる。日本人のメンタリティーです。今の会社の出資も同じです」

堀が本格的に飛行機に取り組んだのは卒業研究の人力飛行機。自転車のようにペダルをこいで飛ぶ。習志野キャンパス(千葉県)に600mmの総合試験路が完成したのを機に1年間で作る上げることになった。「復活した航空研究会の全員を毎日借り出しての泊まり込み作業」だった。

今でいう鳥人間コンテスト。堀らの人力飛行機は地上滑走試験で34mの飛行距離を記録。だが本番前に竜巻に襲われて機体が破損。本番で日の目を見ることはなかった。

しかし堀が卒業した翌年の74年。日大は堀らが制作した人力飛行機を補修して日本記録を更新。さらに77年には2km超の世界記録を樹立する。

そのまま堀は東亜国内航空(日本エアシステムを経て現在は日本航空)に進んだ。「社長からはうちは大変だぞといわれたけど、僕はへそが曲がっているほうだから」と、かえって面白そうだとそのまま同社に就職する。堀のベンチャー魂が垣間見られるエピソードだ。

「大きな組織に縛られるというのが嫌いなのです。スターフライヤーでも社員をぜんぜん縛ってないですよ」と笑う。

“航空会社の聖域”を学べたことが大きかった

東亜国内航空での最初の仕事は運航技術。天候に応じて飛行機の速度や積載重量を割り出したり、機体に異常が起こったりしたときの操作といった操縦技術のマニュアルをつくる部門だ。パイロットも運航管理者も口出しできない聖域で「海外の航空会社では運航技術に配属されたとたんに給料が上がる」と言われるほど重要な部門である。

「いま考えると、新人でこの部門に入れたのは貴重な体験だった」。飛行機の効率的な飛ばし方や燃費などを体で覚えることができたからだ。

「大学で学ぶ材料や熱力学、制御工学などの基礎ではなく、実際の飛行機がどうなっているか、そしてその運航技術といった実地を学べたことが大きい」

堀が大学時代に手掛けた人力飛行機。わずか1年で、設計から製作・飛行までやってのけた。この鳥人間コンテストの原点をつくった人間が20年後には航空会社の設立に挑戦する

その後、空港部や経営企画部などを担当。そしてこの時期に運輸省航空局(現在の国土交通省)とのつながりができた。

「スターフライヤーを設立するときに6人の仲間がいたが、ほかの新規航空会社と唯一違うのは航空行政をよく知っている人ばかりだったこと」

航空会社をつくるのに必要なこと、それを航空局のどの部署と相談すればよいかが分かっていることが役に立った。「無手勝流でやっていたらスムーズな立ち上げは難しかった」。

プロフィール

堀 高明 (ほり たかあき)

1949年長崎県生まれ。1973年、東亜国内航空(株)(現・日本航空インターナショナル(株))入社。運航本部航務部運航技術課、乗員部飛行技術課、空港部、経営企画室主事、運航本部乗員基準部チーフマネージャーを歴任。1992年10月、航空業界を離れ親族の経営する栄和産業(株)営業統括部長。1993年11月、エグゼクティブ・エアサービス(株)(現・エクセル航空(株))業務部長として再び航空業界へ。パイロットの基礎訓練事業に従事し、1996年5月、エクセル航空(株)代表取締役社長。東京や横浜のヘリコプター・ナイト・クルージングや救急医療を行うドクターヘリ・サービスを事業化する。2002年12月、神戸航空(株)(現・(株)スターフライヤー)を設立し、代表取締役社長に就任。

企業データ

企業名
株式会社スターフライヤー
Webサイト
設立
2002年12月
資本金
5,833百万円
代表者
単体 355名(2007年7月25日現在)
所在地
〒802-0003 福岡県北九州市小倉北区米町二丁目2番1号 新小倉ビル
事業内容
定期航空運送事業および不定期航空運送事業ならびにこれに附帯または関連する事業
売上高
単体 12,082百万円

掲載日:2008年2月12日