中小企業の海外展開入門
「コスモテック」積極的な展示会活用で自ら市場を開拓
スマートフォンやタブレット端末の液晶画面やタッチパネルには、いろいろな機能を持ったプラスチックフィルムがさまざまな場所で使用されている。耐熱性や防湿性、非粘着性、高反射率などの機能を持ったこれらのプラスチックフィルムは機能性フィルムと呼ばれている。
この機能性フィルムの分野で、中小企業ならではの機動力を活かして海外展開を行っているのが株式会社コスモテックだ。下請けを脱却し、自社製品を販売する営業力を身につけて成長を遂げるまでの挑戦について、高見澤友伸社長に話を伺った。
クライアントの海外進出に伴い中国進出を実現
株式会社コスモテックは、1989年に創業され25期を迎える。現社長の高見澤友伸氏は2代目だ。大手IT企業に勤務した後コスモテックに入社し、父親から事業承継した。
創業者は高分子を専攻し、大手メーカーに就職した後、いくつかの会社を経験し、50歳の時に起業した。当時は液晶産業の創生期であったため、液晶産業の成長と共に企業成長を果たしてきた。しかし、日本の液晶産業が落ち込むと同時に国内取引は減少。その中でコスモテックは、輸出で売上を伸ばし、売上に占める海外事業のシェアが連結ベースでは7-8割程度になった。
海外展開のきっかけは、日系企業の仕様書を見た台湾企業からの問い合わせだった。当時、台湾では国が液晶事業を育成するために積極的に投資をしていた時期であった。台湾に輸出するようになり、何度も訪台し商談を繰り返していくうちに、台湾に営業拠点を設けるという話まで上がっていた。
しかしその時、当時のメインのクライアントが中国に工場を造ることになり、主要部品のサプライヤーだったコスモテックにも声がかかり、クライアントと共に中国の蘇州に進出することになったのだ。業界の成長に伴い、日本と中国のビジネスは拡大していったが、このビジネスモデルはリーマンショックで終わりを遂げた。
海外で自社製品を販売する
日本でのクライアントの製品が売れなくなった。自社の生き残りを最優先にしなければならず、下請企業のことは構っていられなくなったということなのだろうか。クライアントは生産拠点を海外に移したが、その時は一緒に移転しようという話はなく、移転先の現地企業と取引をするという。
そのような状況下、縮小均衡で待ちを選択をする企業もあるが、コスモテックは違った。仮に待ったとしても、国内の液晶事業のこれ以上の成長は見込めないと判断したからだ。
リーマンショックが起きる直前に社長を交代した。当時は業績も好調であったため、スムーズな事業承継ができるタイミングだと思われたのだったが、一からビジネスモデルを作り上げなければならない状態に陥ってしまった。戸惑う社員はなかなか変化に対応できなかったため、何をするにしても社長自身が取り組まなければならなかった。
賛同してくれた1名の技術者と二人で新たなビジネスモデルを模索した。まずは、自ら自社製品を販売するという営業活動を海外でスタートさせたのだ。これまでとはまったく異なる苦労の連続だった。確かに、クライアントと共に中国進出した際も苦労をしたが、友伸氏と同じ時期に入社した中国人スタッフが先頭に立ち、税関などへの対応、商習慣の違いによる問題や文化的なギャップの解消に努めてくれたため比較的スムーズに事業を立ち上げることができた。
「営業活動を自社で行わなければならない状況になって、これまでクライアントに守られており、苦労をしていなかったことを痛感した」と友伸社長は語る。これまでは、営業活動はしなくともクライアントから仕事は依頼され、製品開発はクライアントからのアイデアをベースに行っていた。自社でマーケティングを行い、その結果製品開発をするということなどは考えてもいなかったという。
営業と開発を比べると、営業のほうが難しいという。自社で営業活動をしてわかったことは、台湾の企業と比較しても日本の中小企業の技術力は優れており、ユニークな製品も開発しているが、売り方が下手なのではないかということだった。
友伸社長は営業活動を推進するために、展示会を活用した。当時、会員登録をしていた協会が中小企業の海外展開支援を打ち出し、展示会への出展を促すメールが送られてきた。営業のきっかけをつかみたいとの思いから、上海、大連、韓国、台湾などで開催されるあらゆる商談会や展示会に出展した。毎月に1回1週間は展示会場や商談会場で営業し、知り合った人にはすべてアポイントをとろうとした。
返事が来たら商談し、人脈を広げていった。そのような活動を徹底した結果、台湾では1年半くらいで販売の成果がではじめた。成功パターンができると、協会の支援なしに独力で展示会に出したりするようになった。年間10件程度の商談会や展示会に参加したという。
もっと効率のよい営業手法があるかもしれないし、ビジネスにつながる確率は高くはなかったが、その当時はやれることはすべてやったという。展示会での営業と合わせて、これまで取引のあった商社に自社製品が海外で売れるかどうかヒアリングも行った。そこで、取引先を紹介してくれた商社もあった。
台湾では比較的営業がしやすかった。日本に対する信頼感があり、話を聞いてもらえる上に、日本語ができる人も多かった。
成果が出始めてから社員が少しずつ協力してくれるようになった。友伸社長の活動に関心を持ってくれた社員に声をかけた。台湾で販路が確保できたことで組織も落ち着いてきた。ビジネスモデルの変化についていけない社員の入れ替わりもあったが、リーマンショックという大きな外部環境の変化があったからこそ、環境の変化を受け入れる新たな組織を作ることができたのではないかという。新たな組織では、営業活動も技術開発も活発になってきた。
台湾で販路が拡大した後、中国、韓国に営業活動をシフトさせ、韓国には販売拠点を作った。中国の華南地区でも販売実績が上がってきたため、香港に法人を作った。これからの成長が期待できるのは華南地区だ。販売拠点を増やしていったものの、生産拠点は日本と中国の蘇州の2カ所だけだ。日本の工場で生産した製品の半分は中国に輸出されている。中国で生産しているものはほぼ現地の日系、台湾系、中国系の企業向けだ。
海外での挑戦は続く
コスモテックのクライアントの製品はスマートフォンやタブレットであり、ライフサイクルが半年程度と非常に短いのがネックだ。仕様は常に変わりつづけ、またタッチパネルのコア技術も変わっていく。車に例えると、ガソリン車から電気自動車、水素自動車への移行が短い期間で行われているようなもの。そのため、短期間で製品開発をして販売しなければならない。商品が売れなければ2-3カ月で営業活動が終わる。長くても1年程度だ。
そのような業界ではあるが、友伸社長は、今はできる限り業界の流れに沿って事業を展開したいと考えている。今は、ベトナムへのリサーチも開始し、ビジネスチャンスを探っている。
最近、日本企業が世界的にも競争力をもっている分野で新たな製品開発をしたところでもある。その製品を日本や台湾、韓国で展開したいと考えている。電子部品向けではアメリカへのアプローチの手法を検討している。この分野には、将来性を感じている。
友伸社長は、「海外展開に際しては、自社の規模にあった市場をいかにして選ぶかがポイントだ」と断言する。市場が小さいうちは取引してもらえたとしても、市場規模が大きくなるとあっという間に大手メーカーに市場を取って代わられてしまう。
下請け体質を変革させ、自ら製品を開発し営業もできる力を身に付けたコスモテック。だからこそ、自社に合った市場を見極めることもできる。これこそが、コスモテックの成功要因であり、今後の成長を確かなものにするのであろう。
企業データ
- 企業名
- 株式会社コスモテック
- Webサイト
- 代表者
- 代表取締役社長 高見澤 友伸
- 所在地
- 東京都立川市錦町5-5-35
- 事業内容
- 製造業(粘着シート・テープ等の開発及び製造販売等)